内容に共感したので
noteの記事にあげたいと思います。
私自身は超放任主義というか褒められも誹られもせずに育ちました。実際のところ、父親が転勤族、職場を2、3年で転勤、私も小学校を五回転校。中学は入学した学校で卒業できたものの、高校も転入試験を受け、高校2年入学した高校とは別の学校に転入、そこで卒業といった学校時代を過ごしたのです。
父は私を構っている暇などなく、私も父に反抗する余裕などない。結果、反抗期すらない、ある種のすれ違い父子でした。母は何かと励みすぎる私を密かに心配してくれていたと思います。口出しは余りしませんでしたが(私の意を汲んでくれていたのだと思います)。
一見淡泊すぎるように見える親子の関わり方ですが、私にとっては自由に行動できた高校卒業までの6・3・3、計12年でした。それは恵まれた時間であったと思います。
私の子供時代は、大人には大人の世界があり、子供には子供の社会があった。適当な距離があることはマイナス面もありますが、私の場合は自分の考えに基づいて行動ができる自分に向いていた環境だったのだと、大人になって思うのです。
今の「人と人の距離」は物理的に近すぎて、精神的は遠すぎる。「もっとしっかりしなさい、今のままじゃダメ」、そんな声に囲まれて成長する人が少なくないのかもしれない。今回リンクした本の内容に触れて、そんなことを思いました。
今の自分がいいのか悪いのか。それは、最終的には自分が決めたら良い。決められないのならば、決められぬのが自分だと受け入れ、他者の意見に耳を傾け参考にして進む。
では、受け入れられぬ自分が嫌ならば、どうすればよいのか。
どうもしなくてよいのです。それが自分だと受け流し、当たり前のことをこなしていく。自分と対話し、自分の言葉を聞き取り、そして、そこに拘泥する自分を解き放ってやる。それは自分にしかできない。
取り上げた記事は、そのようなことを私たちに教えてくれていると思うのです。
時間を今あるがままに楽しむ。そんな考えの導きとなる一冊があります。ブックレビューをご紹介します。
上記から一部を引用します。
今この時は二度とは得ることのできぬ一期一会です。この僭越で拙き文章に目を通してくださっているあなたは、その貴重な時間を私の文章に使ってくださった。それに感謝し、そのあなたがあなたの時間を楽しんでくださることを、実際には逢うことのない私は、モニター(あるいはスマホの液晶)の向こう側でそっと祈っています。