大きさを感じさせぬ、底の広さ。
1.「in aquascape」という曲。
題名が意味不明で(滝汗)先日の記事で動画をシェアしましたが、坂本美雨さんの「in aquascape」について綴ってみたいと思います。
改めて「in aquascape」を歌う美雨さんの動画を貼ります。
以下は1999年の歌唱です。
優劣を云々するのではなく、「歌が人と共に成長している」ということを感じていただきたく、時系列逆でシェアしてみました。
2018.6.30、札幌モエレ沼公園・ガラスのピラミッドで開催されたFOLKLORE札幌公演。坂本美雨さんは後日「参戦」を表明する形で、このライブに途中登場されました。「in aquascape」は大切な歌です。そう語られた後で、硝子のピラミッド、その天井を揺するかのような、魂のゆりかごのような、そんな歌声を私たちに届けてくださいました。
先の記事で太田美帆さんのご活動について綴りましたが、「in aquascape」を美雨さんが歌う際、そのコーラスを務め、共に空気を紡いでいたのが太田美帆さんです。全てが溶け合うような、奇跡の夜でした。
2018。この年が坂本美雨さんにとって、どんな年であったのか、当時は本当には分かっていませんでした。それを実感したのは―
2.坂本美雨という愛
― 骨すらも愛しい。そのように父・坂本龍一さんのことを語られた美雨さん。癌を患い加齢により体力が衰えていく愛猫(で家族)サバ美ちゃんのことも、そのように愛している。その愛の深さ・崇高さに、私は胸を揺さぶられる思いがしました。人は人を、そのように愛することができるのか。この愛こそが奇跡であり、父・坂本龍一、母・矢野顕子 という2人に命を育まれ、今はご主人と二人三脚でなまこちゃんを育てる坂本美雨という女性なのだ。そう感じています。
そして、表題に掲げたように「それを当たり前の日々」として、自然体で営んでいる。それが坂本美雨というアーティスト、一人の人間の凄みだと思うのです。
3.ふたりのAQUA。
話題を「in aquascape」に戻します。この曲はご存じのように、作詞:坂本美雨、作曲:坂本龍一。そして、「in aquascape」には、別バージョンがあります。坂本龍一「aqua」です。
私は「aqua」の「/05」バージョンがとても好きです。ゆったりとした、ピアノの音と対話するかのような龍一さんのタッチ。いつまでも記憶に刻まれる音です。
2018年6月30日。この曲に詩を重ねた「in aquascape」が札幌で歌われたとき、坂本龍一さんは中咽頭癌の闘病中でした(2014年に発症を発表)。残された貴重な時間と向き合いながらニューヨークで「音を紡いで」いたと聞き及びます。その結実がアルバム「12」です。
あの夏の日。坂本美雨は慈しむように、祈るように「in aquascape」を歌いました。そこには様々な思いが込められていたと思います。そのひとつが父への感謝であったように思うのです。ライブでも、坂本龍一と幼い日に硝子のピラミッドを訪れたことを語っていました。
4.音が紡いでいくもの、織られていくもの
私はイエロー・マジック・オーケストラの一員という捉え方で音楽家・坂本龍一を知りました。矢野顕子という音楽家との結びつきにより、坂本龍一からYMOという枷を外して、その音を聴くようになりました。そして、「Sister M」名義で坂本龍一の「The Other Side of Love」を歌う坂本美雨を知りました。彼女が坂本美雨 with CANYUSというユニットを組んだことで太田美帆という音楽家を知ることになりました。
音は、音楽は、そのように人と人とを結ぶ。それは一本の糸のようであり、その糸が布として織りあげられ、新たないのちを得る。そんな風に人の心と心を織り上げる織工のように、うたびとは歌を聴衆に届けているのでしょう。今このときも、誰かが。
それでは、今回はこれでお暇を。ご高覧に心から感謝申し上げます。
remark:当記事 #ミュージックレビュー は一個人の雑感であり、その文責は筆者である私が負うものです。取り上げた音楽家さまとの直接的繋がりはなく、名もなき一人のファンの拙い言葉であることをご理解の上、ご笑覧賜りたく存じます。