「 」|日々の
22.3%
世界の識字率の最低はアフリカ大陸にあるチャドの22.3%らしい。(世界子供白書2019より)
でも、女子の識字率はもっと低いんだろうなと思う。
「女子は勉強しなくていい」という差別や、貧困で学校に通えない、そもそも学校の環境が悪い。通えたとしても、貧しくて生理用品が買えずに生理の日は学校を休む。
実際そういった女の子たちは、世界を見渡せば多くいる。
私の住んでいる北海道にはアイヌ民族がいて、彼らは近代まで文字ではなく口頭で文学を継承してきた(口承文学)と高校生の時に特別講義で聞いたことがある。
アイヌ民族は文字がないわけではなくて、特定の文字表記が決まっていない?みたいだけど、世界には文字を持たない民族も実際存在している。
文章を読むことも書くことも好きな私
私は幼い頃両親に絵本の読み聞かせをしてもらっていた影響で本を読むことが好きになり、よく保育園の庭で本を読んでいたそう。
小学生になってからは書ける文字が増えていき、文章を書くことも好きになった。作文は他の人よりも書きすぎて、毎回手の側面が鉛筆で真っ黒に。
(今は筆記具といえばほとんどボールペンを使うことが多くなり、手の側面が真っ黒になっていたことすら懐かしい。)
言葉選びも楽しくて、交通安全のスローガンを五七五で考えた時は、クラス1位の投票数を獲得し実際に道路に標識が設置された。
また、中学生では人権作文コンテストで最優秀賞をいただき札幌ドームで表彰をされたことも。
そして、今は趣味でnoteを書いたり、長期インターンでライターとして記事を書いている。
noteの文章先行でそれに合った画像を選ぶことも、Instagramのように写真先行でそれに合わせて文章を書くことも、両方好き。
最近はありがたいことに「文章がわかりやすい」「言葉選びが上手」などとnoteを見てくれる方々から褒めていただくことも多くなった。
「好き×得意=文章を書く」は今後も続けていきたいなと思う。
品と色気
先日、9月にあった伝える決断と伝えない決断についてのnoteを書いた。
幼い頃は自分のことを全部知ってほしくて、その日あったことを1から10まで母に話していた。友達にも思ったことをそのままに伝えられていた。
ただ大人になるにつれ、伝える言葉と伝えない言葉があることを学んだ。
現代はSNSがある日常が当たり前で、情報発信は誰でも容易にできるようになっている。
でも、その言葉(文章)は誰が見ているかわからないし、間違った解釈や切り取られ方をして関係性の悪化に繋がったり、言葉の暴力として気づかぬ間に誰かを傷つけている可能性も。
伝えたいと思っていた言葉を飲み込んでしまったり、自分の言葉のせいで傷つけてしまわないようできる限りオブラートに包んだり。
伝えない言葉があってもいいのだと自分の中で理解をした上で、それでも私は誰にもまだ名前をつけられていない自分の見えている景色や、感じる気持ちに一つずつ名前をつけていきたいと思う。
「 」(行間) 意味:隠れた意味や意図を読み取る
「 」 自分の切り取り方で行間を読む。全てを事細かに説明された文章に色気はないから、上品に隠して。
言葉にしないところに込めた色気と、言葉にすると意思をもって決め丁寧に綴られた文字列の上品さ。
そんな文章が書ける人になりたいものですね。
一期一会
あなたは今日何文字を消費しただろう?
SNS、メール、TV、新聞、標識や広告、タイトルや背表紙を含む本など、人が一日に目にする文字の数は計り知れない。
私は、文章(文字)も一期一会だと思う。
文字が読めない人、文字がない民族がいる中で、文字を読むことのできるあなたが、この文章と出会ってくれて、貴重な時間を使って最後まで読んでくれたことが本当に嬉しくて。心から感謝を伝えたい。
“日々の”に続く行間を、私はこれからも読んでいきたいと思います。
ハルナ|「 」