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自分の気持ちを置いてきぼりにしない

私の癖なのですが、
自分を差し置いて
自分以外の人を優先する
ことが多いです

でも、
その時に持っていたはずの
自分の気持ちや感情って
一体どこにいるのでしょうね

恐らくなんですけれど、
圧縮袋みたいのに詰められて、
普段は目のつかないようなところにある
のだと思うんです

その圧縮袋が、
何かの拍子に開いてしまったときに
ぶわっと出てくる
そんな感じがします

昨日の夜に、
久しぶりに自分のmixiの日記を読みました

残っている一番古い日記が
2008年のもの

本当は大学を卒業する前くらいの
日記が残っていたら読みたかったのですが、
それは過去の私が消してしまっていたようでした
(今はしなくなりましたが、リセット癖がありました)

その現存する2008年の日記や
日記のコメントについたレスポンスを読んだときに、
なんだか痛々しいというか、
(今も痛々しい人ではある/笑)
「自分の気持ちとしてはどうなのさ?」
「自分の気持ち置いてきぼりにしてないか、それは?」
という感想だったんですよ

それとともに、
書かれている日記の事象は
今持っている記憶の中になくても、
日記読んでいくうちに
その時に思った気持ちみたいなものが
ぶわっと湧き上がってきたんですよね

先に書いたように、
圧縮袋が何かの拍子に開いて、
中身がぶわっと出た状態です

置いてきぼりにされた気持ちや感情は、
消えることなく残っているんだな
と、私は感じました

日記に書かれている事象に近い時間軸で、
自分と向き合ったり受け容れたりしていたら、
圧縮袋があったとしても
消化して中身もそんなに入っていないはずなので、
「あー、こんなこともあったなー 懐かしいな」
くらいで終わると思うんですよね

私の圧縮袋は
それはもうパンパンに詰め込まれていたので、
まぁ出てくるわ出てくるわ!
また戻して圧縮するのが不可能でした(笑)

置いてきぼりにされた気持ちは
未練とも執着ともまた違う
と私は考えております

『未消化』
という言葉が
私には一番しっくりきますね〜

結局、過去のリセット癖も
「なかったことにする」だけで、
その時の状況や自分を受け容れられてもいないし、
そもそも向き合えてもいないんですよね
置いていきっぱなしの置いてきぼりです
未消化物なのです

私は今まで、
どれだけの未消化物を残しているんだ?
そう考えるとゾッとするのですけれども

残したもの全部というのは難しいですが、
時々置いてきぼりの気持ちと向き合って、
ひとつずつ受け容れていきたいなと思っています

もし可能なのであれば、
私の過去の気持ちに共感して下さりそうな人や、
その事象を知っている人で話を聴いてもらえそうな人に
「あの時、こう思っていたんだよねー」と話して、気持ちを消化(成仏?)させたいなと思います

そして、これからは
できる限り自分の気持ちや感情を置いてきぼりにせず、向き合って受け容れていきたい所存です
自分ひとりでそれをするのが難しければ、
遠慮せずに人の手をお借りしたいです
(私の場合は、話して聴いてもらえる人や場所があると良さそうだな)


そう考えると、
こうして自分の記録をつけるのは
結構有意義なことだなと思います

ネット上だと記録の検索も早いので、
有効活用していきたいですね

アナログにノートなどの紙媒体に記録するのも
いいと思うのですよね

今は時間にも気持ちにも余裕があるので、
ダラダラといっぱい書いていますが、
140文字に収まるつぶやき程度にでも
自分の日々の記録は
残していけるといいなーと思います

いい気付きができてよかった!大発見!!

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