#74 都立高校入試

#短文雑記

福岡伸一「動的平衡3」

2/22の新聞に都立高校の入試問題が掲載されいて、「国語」の問題として福岡伸一さんの「動的平衡3」が載っていた。「生物と無生物のあいだ」を読んで以来、福岡さんのほかの本も読んでみたいと思っていたので、掲載部分に目を通してみることにした。

高校入試の問題文とあって、とても短い文章だったけれど、その中に生命だけでなく何にでも通じる本質的なことが書いてあるように思えた。一部内容を紹介する。

生命にとって、エントロピーの増大は、老廃物の蓄積、加齢による酸化、たんぱく質の変性、遺伝子の変異……といった形で絶え間なく降り注いでくる。油断するとすぐにエントロピー増大の法則に凌駕され、秩序は崩壊する。それは生命の死を意味する。これと闘うため、生命は端から頑丈に作ること、すなわち丈夫な壁や鎧で自らを守るという選択をあきらめた。そうではなく、むしろ自分をやわらかく、ゆるゆる・やわやわに作った。その上で、自らを常に、壊し分解しつつ、作りなおし、更新し、次々とバトンタッチするという方法をとった。この絶え間ない分解と更新と交換の流れこそが生きているということの本質であり、これこそが系の内部にたまるエントロピーを絶えず外部に捨て続ける唯一の方法だった。動きつつ、釣り合いをとる。これが動的平衡の意味である。
~中略~
つねに動的な状態を維持することによって、いつでも更新でき、可変であり、不足があれば補い、損傷があれば修復できる体制をとっているということだ。だからこそ生命は、環境に柔軟で適応的であり、進化が可能になる。

ここに書いてあることはまさに、レジリエンスといわれることではないか。

数年前に受けた景観の授業で、博物館的な見た目の景観保全ではなく、その景観を形成する文化も含め、動的に保全していく事が本当の意味での保全だと教わった。文化は再生産されるものだとも誰かが言っていた。更新され、変化していく事は生命だけでなく、文化的景観にも、社会にも、都市にも、自然にも、ありとあらゆることにあてはまるのだろう。

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話の主語を生命(人)に戻そう。

2/12に書いた、noteをはじめて1年経ったときの投稿では

変わっていく自分の中でも”変わらないもの”・・・一体何だろう。

ということを書いた。その時は何かは分からないけど、きっと変わらない大事な何かがあるのではないかと思っていた。しかし、全く変わらないことはやっぱりなくて、”変化し続けること”こそが”変わらないこと”なのかもしれない。変化が少しずつ過ぎて変わっていないように感じるけことがよくあるだけで、きっと実際は更新されていっている。

その意味で、noteに日々のことを書いていると、いかに変わったかということを認識できる。自分には信念というか、軸のようなものがあると思っていても、ゆるゆる・やわやわな身体に日々色んな情報や感情やたべものや空気が降り注ぎ、少しずつ更新されていく。そうした時に信念や軸は一体何の役に立つのだろうと考えてしまう。

一方で、今の自分は、そうやって降り注いできたものと、それに影響を受けて少しずつ更新されてできているなら、すべてをコントロールできなくても、多少の取捨選択をすることはできる。その時にこそ、信念・軸が大切なのだろう。

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ここ数日、幼なじみや、高校の友達や、同じ高校だけど知らなかった人など、普段合わない人と会って話す機会が多かった。そこで改めて人は色々な価値観を持っているんだということを実感した。そして、私の立場からしたら、社会人になって安定した生活をしていると思っていた人たちの人生に対する漠然とした不安や、日々の悩みを聞きちょっぴり驚いた。

漠然とした不安というのは、今の生活だと新しい人と関わることが少ない、これからずっと一人で生きていくんだろうかとかそういう、本当に漠然としたもの。

分からなくもないけれど、自分も、周りの人間も、環境も日々少しずつだけど更新されていているなら、どんなことの組み合わせや関係性で何が変化するかなんて全くわからない。それなら自分ができる精一杯のことは、何を意識的に取り入れて、自分を更新させていくのかということくらいで、それ以外のことには関してはほとんど無力じゃないかと思ってしまった(やはり信念・軸は大切)。

こんな風に考えてばかりいたら自分勝手な人間になってしまうかもと思うかもしれない。でもこんな風に考えると、日々起こる大体のことに寛容になれる。どうにもできないことに対して悩むのではなく対処法を考えてみようと、前に進むことができる。行動を起こすことができる。

入試問題の部分を読んで、少なからず感じる漠然とした不安がすっと消えたような気がした。

ということでぜひ、「動的平衡3」を1冊通して読んでみたい!

余談
わたしは生まれたころから関節が柔らかかったらしい。今でも定期的に整体に行くのだけど、関節がゆるいから骨盤がずれやすいといわれている。

これまでいろんな環境に怖いもの知らずで飛び込んで、かなり適応してしまう方だった。それは好奇心や楽観性、割と何でも受け入れる(理解・賛同するかは別)といった性格から来るものだろう。

なんの根拠もないし、自分で書くのも変だけど、様々な環境や困難なことに対する適応力はこの身体と心のゆるさから来ているのかもしれないなあ、と読んだ後に勝手に納得して笑ってしまった。


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