#106 もうひとつの、わたしの帰る家
今月は『心を豊かにする読書』※をしていない。
何か適当な小説はないかなだろうか?
そう思ってKindleの「未読本」の中から、ずっと積読だったけれどなぜか目を引く一冊を読むことにしました。
※3テーマ読書のうちの1テーマ
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物語も素晴らしかったし、読了後の余韻もとても心地よい本でした。
そして、ベルギーで過ごした日々を思い出し、
わたしが感じている血の繋がらない人への愛情や、「拡張家族」のような考え方をわりとすんなり受け入れられる理由は、ベルギーでの経験が大きく影響しているということを再認識しました。
かなり個人的な話ですが、この物語から感じた愛情と、わたしのベルギーで経験したことについて書いてみようと思います。
読むべき時にそれはやってくる
今回手に取ったのは、
瀬尾まいこ「そして、バトンは渡された」
という本。
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「だいぶ前に買ったっけ?」と本を頼りに記憶をたどっていくと、それはベルギーにいた2019年の年始だった。当時建築設計事務所インターンをしていたわたしは、帰宅してごはんを食べながら、Kindleストアおすすめの「2019年本屋大賞」のノミネート作品を見ていた。
おそらくそこで気になって、「そして、バトンは渡された」をダウンロードしていたのだろう。それからの記憶は定かではないが、新しい本に埋もれて、すっかり忘れていた。
あれから2年近くが経った今、あの時とは生活も考えることも変わり、読むべき時が来たのかもしれない。
そして、バトンは渡された
主人公で高校生の優子は、4回も苗字がかわり、血のつながらない大人たちに育てられた。それでも彼女は「自分は不幸だ」と感じたことはない。
優子の現在の父親は、37歳、東大卒でちょっと変わり者の、でも憎めない森宮さん。森宮さんは優子のために様々な料理を作る。ふわふわのオムレツを挟んだサンドイッチ、始業式の朝のかつ丼、にんにくとにらたっぷりの餃子、夜食のうどん。やっぱりちょっとずれてるけれど、森宮さんの優子への愛情が感じられるシーンが印象的だ。
そして同じく印象的なのが、回想シーンで描かれる「これまでの親たち」の優子への接し方・育て方。それぞれの愛情の形は違うが、どの親にも愛されて育ったのだなぁと心がじんわりと温かくなる物語だ。
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個人的には、「血は繋がっていなくても、遠くにいても、健康や幸せを願う人への愛情」と「この物語で描かれている優子の親たちの愛情」には共通するところがあると感じた。
今日はここから、タイトルタイトルに書いた「もうひとつの、わたしの帰る家」の話をしようと思う。
もうひとつの、わたしの帰る家
さて、2019年の私のベルギーの部屋に戻ろう。
1月のベルギーは暗くて寒い。
けれど私の部屋はセントラルヒーティングで温かかった。
3階のワンルームの部屋は、15畳くらいはあるだろうか。二人が余裕で座れるソファーと、ダブルベットが置いてあって広々としている。といっても、この部屋、実はアパートの一室ではない。
一人暮らしに似た、ちょっと変わった暮らしをしていた。ベルギーにはベルギー及びEU圏内の学生を対象とした「世代間ホームシェア」という制度がある。高齢者のお家の使っていない部屋を若者が安い価格で借りられる制度だ。安く借りるかわりに、生活の手伝いをしたり、ご飯を一緒に食べたりと、助け合い、交流することが条件となっている。
本来日本人の留学生はこの制度を利用できない。細かいことを書くとややこしくなるのだが、要するにEU圏内に実家があって、住民票を移動しない前提の学生が対象の制度で、私のように住民登録を必要とする外国人は登録できないのだ。もし犯罪などを犯したときに、登録住所の世帯主も責任を負うことになるからだ。私の場合は、大家さんが親日家だったこと、私と会って話をした上で、「この子なら住民登録していいわよ」と快諾してくれたこと、などなど、偶然と幸運の連続でこの部屋を借りることができた。
そんなわけで、3階建ての一軒家の一室に住んでいた。
この家の家主はわたしの大家さんであり、友達であり、おばのような存在、ジュヌヴィエーヴ。5人の子供たちは全員独立しているので、わたしが引っ越してくる前は大きな家で猫2匹と暮らしていた。
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一軒家なので、もちろん玄関は共用。
出かけるときは「いってきます」、そして帰ってきたら「ただいまー」といって靴を脱いで三階まで上がらる。だから、遊んで遅く帰ったり、帰らなかったりすると、当然バレるわけで(笑)、翌日怒られはしないものの、「お酒の飲みすぎは脳に悪い」と注意される。ちなみに彼女は大学病院勤務の医師だった。
食費を節約して、野菜と卵ばかり食べていた時は、「ちゃんと肉も魚も炭水化物も取らなきゃダメよ」なんて言われてしまった。そして夕方仕事から帰ってくると、部屋の前にご飯が置いてあることも…
わたしとしては、「え、なんか置いてある…いたって健康なのになぁ」という感じ。でも、とってもおいしかった。人に作ってもらうごはんって最高。
Pistou(ジェノベーゼ)のラビオリスープ。「レンジで2分温めてね。召し上がれ!」と書かれていた。
彼女とてもアクティブで、アミアンやパリ、ロンドンなど泊りがけでよく行っていた。その時はわたしが猫のお世話をしていた。恥ずかしがりやの猫たちともだんだん仲良くなれた。
最近どうよ?って感じでよく部屋にやってくる
もし普通にアパートの部屋を借りて一人暮らしをしていたなら、大家さんはあくまでも大家さんでしかなく、一緒にごはんを食べたり、猫のお世話をしたり、旅先でお土産を買ったり、クリスマスの家族の集まりに連れて行ってもらったりすることはなかっただろう。
クリスマスの家族の集まり@ブリュッセル郊外の親戚のお家
「異国の地で一人暮らし」のはずが、なんだか実家暮らしのような感覚で、一度も日本に帰りたいとは思わなかった。当時は、「わたし、この街での暮らしにめっちゃ馴染んでる!快適~」と思っていたが、それは彼女から気づかぬうちに受け取っていた愛情のおかげでもあったのだ、と今では思う。
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最近「拡張家族」という言葉を耳にする。結婚や家族のかたちも多様になってきているようだが、やっぱりまだ懐疑的な意見もあるし、法制度的にも難しい面がたくさんあるみたいだ。つい最近「家族とは何か?」があるネット番組のテーマになっていた。それをみながら、結婚していわゆる普通の家庭を持つこと以外にも、拡張家族のような形が、選択肢として以前よりもリアルに自分の中にあることを自覚した。
どんなかたちで家族を持つのかまだわからないけれど、わたしも、受け取った愛情を誰かに渡していきたい。
おわりに
今回は「そして、バトンは渡された」を読んで感じた、かなり個人的なことを書いてみましたが、きっと読んだ人それぞれに思い返せることがあるのではないでしょうか。普段読む本で、”誰にでも” おすすめできる本は少ないのですが、この本は皆さんにおすすめしたい一冊です。
紹介した本
文藝春秋の紹介ページ