アート小説について
アート小説って、原田 マハさんの「楽園のカンヴァス」から付いた名称なのでしょうか?実在の芸術家を主人公にした史実に基づくフィクションのことを言うのでしょうか?それなら他にもありますよね。
最近の作品では安部 龍太郎(長谷川 等伯「等伯」2012年)、葉室 麟(尾形 乾山「乾山晩愁」2005年、海北 友松「墨龍賦」2017年)、西條 奈加(長沢 蘆雪「ごんたくれ」2015年)、山本 兼一(狩野 永徳「花鳥の夢」2013年)、梓澤 要(鈴木 其一「画狂其一」2017年)澤田 瞳子(河鍋 暁翠「星落ちて、なお」2021年)というところでしょうか。
日本人を主人公にした時代小説がほとんどですよね。
原田さんは、ルソーやピカソ、ゴッホなど外国人作家を扱ったところが新機軸だったので、アート小説という新分野が生まれたのでしょうか?
それにしても、人気がありますよね。noteでもしばしば取り上げられていていずれも高評価です。何かそれに水を差すようなことを言うと袋叩きに合いそうですが…敢えて勇気を出して言わせていただきます。
「楽園のカンヴァス」を読んだ時は、やっと新しいアート小説という分野で活躍してくれる人が現れたことを素直に喜びました。「暗幕のゲルニカ」までは、そうでした。が「リーチ先生」あたりから??朝倉 文夫と高村 光太郎って接点があったっけ?
「たゆたえども沈まず」に至っては、もういけません。浮世絵は確かに観ていたとしてもゴッホと林 忠正が出会っていたという事実は聞いたことがない!ちょっと美術史をかじっているのも禍して益々怒りが増幅。
いくらフィクションと言っても実名を出して書いているのに根拠のない事をさもあったかのごとく書くのは如何なものでしょうか⁈「風神雷神」に至っては、俵屋 宗達を天正少年使節団に入れてローマに行かせてしまう始末。ならなにも宗達にしなくたって架空の人物を設定すればいいのに…宗達は京都の扇子屋の当主として生涯を終えた筈。苦々しく思っている研究者もいるはずだけど、飛ぶ鳥を落とす勢いのマハ様に正面から苦言を呈するのは憚られるのか、あまり反論は聞きません。
時代小説にはフィクションが入ってもいいと思いますが、どの位の割合で入れれば違和感がなくなるのでしょうか?
それでも小説家たちは、主人公達をなるべく史実に基づくよう気を配って書いてきた筈で、だからちょっとこれは?と思ってもそれ程違和感なく読者も小説に没頭出来るのではないでしょうか?司馬 遼太郎の作品にもフィクションありですが大部分は史実に基づいているので叩かれることはほとんどありません。フィクションの割合は10%位でしょうか?
それに比べると、マハさんの小説はフィクション度60%はいってますね。
これでは、何も知らない純情な読者に虚偽の事実を信じ込ませることになりかねません。将来も読み継がれていくとしたら、尚更怖いものがあります。
新刊「レボルバー」も読んでみましたが益々妄想度が高くなっていますね。
と厳しいことを書きましたが、私は決してマハさんのファンでないという事ではないのです。現にこうして新刊が出るたびに思わず購入して、モヤモヤしているのですから。どなたか納得できるご意見をお願いいたします。