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お大師さまとグラノヴェッターの弱い紐帯 | はるももの社会学 #1

ここら(やまぐち)ではこどもたちが(※おとなも)浮足立つちょっとした風習、おだいしさま、なるもんがある。

その日、山あいの学校を駆け足で下り、ランドセルをほっぽるが先、どでかい簡単な袋をもって、いちもくさんにそこらのおだいしさま(弘法大師の像がある祠)へ一直線。

そこでは地面に布を敷いて、何十年か前の遠足の気持ちを懐かしむかのように延々しゃべりあいっこしているおばあちゃんたちが待っとって「よおきたねえ」と声をかけてくれる。

おばあちゃんの浮世離れた話(近所の入院話、自分の定期検診話、息子の転勤先の話、スーパーの安売り話、相撲話、昼ドラ話、死を交えたブラックジョーク)に耳を傾け、ウンウンと相槌をうちつつ、そこにずらずらっと並ぶ手づくりおせったい(おにぎりやお菓子、小豆煮など)から、どーれーにしーようーかなーと思案し、これに決めた!と口いっぱいにほおばる。

これが年に一度の密かな楽しみ、おせったい、である。近くに点在するおだいしさまで、話しては食べ、話しては食べ、あちこちいったりきたりするのがこの日のこどもたちのおしごとで、日が暮れる頃には、軽かった袋が、おばあちゃんたちのお菓子でいっぱいになり、みんな満面の笑みを浮かべながら離散していく。

すっかりみてた(※方言:なくなった)お盆を持ちながら「はあつかれたでね」と言うおばあちゃんたちも、口とは裏腹、なんだか気が若返っている

私の幼心も、そんな光景の中で温まっていく感覚をまんまと得、この季節がくると、名も知らぬおばあちゃんに会うのが待ち遠しかったものだ。

ちなみに、調べたところによると、この風習は、四国八十八か所巡りのお遍路さんを倣った瀬戸内地方特有の文化のようである。

とたんに世知辛くなってしまうかもしれないが、組織とネットワークの議論に持ちこむならどう説明できようか。

通りすがりに挨拶をする、なんとなく気にかける、何かあった時に助ける、そのくらいの人々のつながりを表すグラノヴェッターの「弱い紐帯」がこの文化におけるひとのつながりを妙なるほどに言い得ているように感じられる。

ただし、弱い紐帯は、イタリア系移民地区の例のように、(地域などの)内部結束というより外部との弱いつながりを指すのが本来的な意味であることには注を促しておかねばならない。

地元では他にも、信仰的なあつまりを開き、一夜を籠り明かす「お日待ち」など、こうした風習がいくつかある。強くもないがなくはない、そんな「ゆるいつながり」がここはあって、でもそれがどこか心地よさをおぼえる。

 しかし、それらは文字通り「弱」く、今、絶滅の危機にある。私の住む地区は、とうの昔に限界集落の仲間入りをし、みんな、手作りの菓子を作るのは手元がおぼつかないし、一升瓶を持ち運ぶには腰が痛くなってきている。継承をどうしていくか、は喫緊中の喫緊の課題であり、はや担い手となりつつある当事者の私の前にでかでかと現れている。

さあどうしようか。

上手くやれる者、得意な者(業者)に頼めばいいという意見がある。でも、これは議論のスタートから折れていて、もはやそこに「ゆるいつながり」はない。

それは専門分化、集権化、厳密化に基づく機械的管理システムへの様変わりを意味し、有機的管理システムゆえにある魅力のもろもろが剥がれ落ちてしまうことを暗示するからだ。

それぞれが思い思いの出迎えをし、とりとめもない話をし、おばあちゃんのちょっと不器用なお菓子があり、年季の入った雰囲気があり、そこのつながりを求め、人は引き寄せられていると思う。

なんてったって、ただ食べたいだけなら、スーパーに行けばいいものだから。

おだいしさまに行くこどもはばかにできない。贅沢しいだ。お目が高い。知ってか知らずか「ゆるいつながり」を求めているようである。

いっそやめてしまえば楽だ、という意見もある。でもそれは、みずからを救ったように見えて首をしめることにもなり得るかもしれない。

弱い紐帯は、生活の資本であり、セーフティーネットであり、社会関係資本としての役割を担っている。たしかにそうだ、と思い当たる節がある。

2010年の数日、すっかり家々が小島になる航空映像が全国放送で流れるほどの集中豪雨が地域を襲った。

あの時の恐ろしさはえも言われないが、ここでは、あちこち全半壊するほどの被害をうける中、「死者をゼロにとどめた」という事実に注目したい

因果関係が証明されているわけではないため憶測の域を脱さない。しかし、ゆるいつながりなしにこの結果はなり得なかったのではないか、ゆるいつながりのセーフティーネットの役割が発揮されたのではないかと思うのだ。

私の近くの地区も、顔見知りを呼び合い避難したり、比較的中心部でもそれぞれの顔見知りが寄り合って夜を明かしたりしたという。「ゆるいつながり」がなかったらどうなっていただろうか。

往々にしてだいじなものごとは無事の場合見えないものである。「ゆるいつながり」も同じく、有事や危機に瀕してはじめてそのありがたみを理解することになる。

「ゆるいつながり」である地区の文化は引き続き私たちがやっていく必要があると思う。ただ、この危機的状況の中なにもせずにあり続けることは不可能で、ある程度の妥協は必要だろう。例えば、お菓子は買ってきたものにしたり、足場の悪いお大師様は平地にかえたり、という具合にだ。

ゆるいつながりは、お金では買えない数少ないもののひとつで、なにものにも代えがたいことを忘れてはならない。それにすれば、妥協は安いものだ。

私の地区の危機と相反し、何でも手に入る世の中のどことない喪失感を埋める役割を担うものとして「ゆるいつながり」は高まりを見せている。

モノの時代は過ぎ、ツナガリへの投資が始まっているのだとすればなおさら、滔々とつづく「ゆるいつながり」は、もう少し長い目で見ながら、日の目を見る期待とともに続けていく意味があるように思う。

つながりは「ゆるい」のだから、続けるのも決まりごとも「ゆるーく」でやっていっていいのではないだろうか。

文・もも

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