無数にある"書き方"を探る場
今日も凄まじい暑さで、元気を持て余している息子(5歳)を連れて今週2回目のプールへ行って来たが、プールの水も強すぎる日差しに温められて…(そんな感じで夏の1日はあっという間に過ぎてゆく)
昨夜、「文章教室」を再開します! と書いてから、う〜ん、「教室」という名前が似合わないような気がするなぁ、とあらためて思っていた。
ぼくはいつもそんな感じかもしれない。
やっている雑誌の名前(アフリカ)が、う〜ん、似合わないような気がするなぁ、ということからして、よく考えたら滑稽なことかも。
その後、というのは今朝、アフリカキカクのウェブサイトの「Workshop」のページを更新して、その「教室」の情報をまとめて載せておきました。
その「教室」(いや、「ワークショップ」か、「語り合いの場」か、いや、それを言うなら「書き合い」か)にかんして、ぼくはとってもゆるい感じで考えている。3名集まれば開催、と言ってる。集まらなければやらず、また後日、でいい。
だいたい、その「教室」の時間に書くのではないわけで、大事にしたいのは、書いている時間そのものだ。
そこを深めようとしてやっている。
ぼくのやる「雑誌」にしても「教室」にしても、ふと思う、その特徴は、たとえば「エッセイの雑誌(教室)」とか「詩の雑誌(教室)」とか「小説の雑誌(教室)」とかということを謳ってないことだ。
基本的には、何でも来い、である。
『アフリカ』にもそういう枠を設けたことはない。なるだけいま書きたいことを好き勝手に書いてほしいと言っているくらいで。
ぼくにはつまり自分の得意なことを、参加者に授けようとか教え込もうとか押し付けようとかという気持ちが全くない。
ぼくの書き方がいい具合に働くとしたら、ぼくが書くからだ。書く人はみんな自分なりの方法を見つけようとした方がいい。
ただし他人がどうしているかを見てみたり聞いてみたりすることは参考になるだろう。自分がいいと思っている書き手が、どう書いているか、研究してみるのもいい。自分の好みではないと思っている書き手が、どう書いているかを少し知ることも、「自分なりの方法」を探るのには、役立つかもしれない。
どんなことが自分に合っているか? それは、やってゆかないとわからないことではないか。また、いまのやり方がずっと通用するとは限らない。以前書いていたものと、いまから書こうとするものは同じではないだろうから。
本を読むのが好きな人なら、「あんなふうに書いてみたい」があるかもしれない。
そこでぼくは「それなら、こんなふうに書けばいいよ」を教える気もなければ、教えられると思ってもいないし、もっと突っ込んだことを言えば、モノマネを教えるとはひとことも言っていない。
ぼくはぼくだし、あなたはあなただ。
そのことにじっくり取り組めるような場がお互いひとつくらいあってもいいと思っています。
(つづく)
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ご連絡いただければ郵送で直接、お届けすることもできますので、遠慮なくどうぞ。「どんな雑誌なの?」ということにかんしては…
をご覧ください。
「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、8月2日。 今日は、子育て・親育てサークル「KOTOKOTO」が、シリアを紛争前から取材しているドキュメンタリーフォトグラファー小松由佳さんをゲストに迎えて、9月5日に行うトーク・イベントのチラシをご覧ください。
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