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世紀をこえて(12月のある1日)

朝、起きて、今日も「朝のページ」を書く。昨夜、寝る前に読んだもののことを書きながら、先週末の「ジャズ・トゥナイト」を録音で聴く。12・8(真珠湾の日)にちなんで、1941年から45年にかけてのアメリカのジャズ事情を特集している。戦争の時代に、新しく生まれた"ジャズ"という明るい音楽("スウィング"とも言う)が大流行しており、その先に、いわゆる"モダン・ジャズ"も生まれていた、というところまで。その特集は前半で、後半は新譜紹介…のその前に、先日お亡くなりになったピアニスト・白崎彩子さん追悼で1曲かかった。白崎さんは52歳で、人生に幕を下ろすには若かったし、死を意識してからは個人的な発信を活発にしたり、新作を出したり、勢いよく燃えて逝った感じがあり、自分がもし、これから死ぬとしたらどうするだろうということを考えさせられる。とくに昨年からは、そういうことをよく考える。もっともっと、考えていいのかもしれないとも思っている。

太平洋戦争については、自分の生まれる前どころか、自分の父母が生まれる前に終わった戦争だが、祖父母の世代はその時代を生きており、やはり自分の隠された記憶の中に、その戦争はまだ生きているという気がする。あの時代に、この(日本という)国が、国民に対してしたことは、どういうことか? その問いに、終わりはない。

年が明けたら、『音を聴くひと』のような作品集(アンソロジー)ではなくて、書き下ろしの本を書きたい、と思う。

そのためには、やはり、自分のことに集中するための準備をする必要があるのではないか、と考える。しよう、とまで思う。

とはいえ、まだまだ雑用に追われている。バタバタと昼すぎまで家で過ごし、今日も外出支援の仕事に出る。

その人とは、よく浜松町へゆく。いつもは駅近で休憩をして、帰途につくのだが、早めにそこへゆき、休憩の前に散歩をして海を見にゆくというのはどうか? と急に思いついて、実行にうつした。その人も、今日はとても機嫌がよさそうで、よく歩きたいような雰囲気だったから。

夕暮れの時間だ。東京湾の空は、霞んで消え入りそうなほど色づいていた。

声をなくしたまま歩き回って、休憩で入ったカフェで、その人が休憩する「支援」をしながら、手元にあった紙切れに思いついたことばを次から次へとぶつけていった。

(つづく)


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