見出し画像

命日に寄せて

私は土地がしっかりと書かれている小説が好きだ。土地さえ地味に立派に書かれていれば、そこに生起する事件は、一から十まで説明されていなくても、いかにもさもありなんと思えてくる。つまり、何ごとも無理強いのない感じにする力を土地は持っている。小説の鍵を握っているのは土地ではないか。(小川国夫「サーレフ」より)

小川国夫さんが亡くなってから、今日で14年がたちました。

20代の頃にたいへんお世話になり、私が29歳の時に80歳で亡くなりました。50歳も年の差がある同志であり、大先輩で。私には作家を「先生」と呼ぶ習慣がありませんけど、小川国夫は自分の通っていた大学の先生だったので「小川先生」で、亡くなってからも「あの人は自分の先生だ」と感じられるのでいまでも自分の中では密かに「小川先生」と呼んでいます。

でも師弟関係にあると言うのは大げさなんじゃないか。亡くなった後に話をしたり書いたりしていたら、それを聞いたり読んだりした人たちが「お弟子さんなんですね?」と言うので、まあそんなもんだ、ということになりました。そう言われるといまでもちょっとくすぐったいような気がします。

だいたい師弟関係というのは、師匠が「あいつは私の弟子だ」と認めなければならないはずでしょう?(違いますかね)そんな話はしたことがなかったのです。ある時、私の仕事場に『マグレブ、誘惑として』を置いてあったところ、それを見た小川先生が「下窪くんの机には俺の本があるんだよ」と嬉しそうに話されていたのを覚えています。弟子なら「俺の本」を持っているというだけでは何の面白い話にもならないので、まあそういうことです。

一方、私の方には、この人とは気が合いそうだ、というところが(生意気にも)ありました。しかし「この人」というのは、若き日の小川国夫が書いたものを本で読んでそう感じたのであって、老人となって目の前に現れた小川先生が私を気に入って、可愛がってくださったのは不思議なことでした。本の中にいる若き日の小川国夫と、普段お会いする小川先生とは、多少のギャップがありましたから(当然のことでしょうけど)。

今年になってからは、久しぶりに『アフリカの死』と『或る聖書』の文庫本を出してきて、いつも手元に置いて、読んでいます。再読してみて、驚きました。こんな本だったのか! という発見がたくさんあるんです。20代の頃に初めて読んだ時よりも、今の方が深く入ってゆける。

今朝、あ、そうか、と気づいたのですが、それを書いている著者も(今の自分と同じ)40代なんですね。

理由はもちろんそれだけではなさそうです。とくに『アフリカの死』については、神谷光信さんが昨年、発表された研究論文「小川国夫とアフリカ -「エリコへ下る道」から「マグレブ、誘惑として」まで-」が再読の素晴らしいガイドになっています。

面白い本を書く作家なら、たくさん知っています。星の数ほどもいるでしょう。でも、私にとって、この人の書いた本を読めば力が湧いてくる、よし書こうと思えてくる、そんな作家は数人もいなくて、小川国夫はその代表なんです。

私も少し年齢を重ねて、いまはもう、小川国夫の世間的・業界的な再評価とかそういうことはもうどうでもよくなって(そもそも自分にはどうしようもないことだし)、とってもシンプルに、ただただ「読む」ことができるようになっているような気がします。何というか、原点回帰、ですね。

昨年の春、『海のように、光のように満ち──小川国夫との時間』という本を出した後で、犬飼愛生さんと話していてこんな話になりました。

犬飼 この本を読んでいると、下窪くんは小川文学の研究者にでもなりそうな感じだね。
下窪 いやいや、これは、これでいったんおしまい。他にもやらなきゃいけない仕事はいろいろあるから。パンデミックの時代になって、いよいよ、いつまで生きられるのか、いつまで書けるのか、わからなくなってきたし。それに…、小川先生も下窪くんに自分の文学の研究者になることを期待してないと思うなあ。
犬飼 そうかなあ。
下窪 君は君の作品を書け、って言うと思うよ。何か、そんな気がする。

『アフリカ』vol.32(2021年6月号)より

小川国夫という傘の中に私がいる、というのではありません。小川先生の抱いているイメージは、おそらくはこうです。──文学の長い歴史の中に、無数の作家、文学者たちがいて、小川国夫もその中の点のひとつです。有名・無名に関係なく、どんな作家だってそうです。私にも、その点のひとつになれ、と言うんです。

(つづく)



いいなと思ったら応援しよう!