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"わからない"が生み出すもの
いま、ぼくはまた一気にたくさんのことをしようとして、アップアップしている。──ということに今日、急に気づいた。ここはひと息ついて、やることを整理して、ひとつひとつやってゆかなければ、と頭で考えているうちはまだ進めない。
自分が書いてきたものを読み返す作業も、続けている。
いつまでも終わらないんじゃないか? という気もしてきた。忘れているものも、たくさんあって。
今日は「「私たち」の生まれる場所」と「朝のうちに逃げ出した私」を読んだ。
「「私たち」の生まれる場所」(2011年秋〜2012年夏にかけて『アフリカ』で3回に渡って連載)は、2009年〜2011年にあったことを書いたエッセイで、今回一緒に読んでくれているKさんは好きらしいが、書いた本人としてはあまりにも生々しい内容で、いまはまだ面と向き合いたくない感じ。ごめんなさい。
そんな話をしていたら、Kさんが「朝のうちに逃げ出した私」はどうか? と言い出した。
「朝のうちに逃げ出した私」(『アフリカ』第16号/2012年9月号)は、10代の終わり頃(1990年代後半)にのめり込んで聴いたローラ・ニーロ(Laura Nyro)の音楽と、ローラをめぐるエピソードを自分なりに解釈して、ぼくが彼女の音楽から得たイメージや物語を、いろいろ書き散らしていたものの、最後の方に生まれ落ちた短い小説。
ローラ・ニーロのことを書いたものは、一番古いので1999年に書いたものが残っていて、「朝のうちに逃げ出した私」は2010年の初夏の頃くらいに書いた記憶があるので、そのことを書こうとしていた期間は約10年。そのほとんどは上手く書けずに、他の作品に(部分的に)生きるというくらいのものだったが、最後にできた「朝のうちに逃げ出した私」はスッと書けた。
スッと書ける時には、あまり考えることがない。
書いている自分が必死で考えなくても、何を書けばいいか、教えてくれる人が出てきて、話してくれる。
これはぼくにとって師匠(小川国夫さん)の教えなんだ。
「朝のうちに逃げ出した私」は、彼女(ローラ)自身ではなく、彼女の近くにいるある人がぼくの中に現れて、その人が話すのを聞いていたら、彼女の姿がちゃんと浮かび上がってきた。
小説なので、つくっている部分がたくさんあるし、ローラ・ニーロの話(史実)とは全く違う要素もあり、作者の心の中にイメージされた音楽家の話になっている、と今回読み返して思った(名前は出てこないから、知らなければわからない)。ローラ・ニーロは、あくまでもモデルだ。
何かに強く惹かれる時、多くの場合、そこには、謎がある。
たとえば、親しくした人が亡くなって、会いたいけれど、もう会うことはできない、その人のことを忘れないでいる、ということも「惹かれている」というふうにぼくはイメージしていて、その人とは心の中で話すか、夢の中で会うか、あるいは幽霊にでもなって出てきてもらったら会えるが、そういった"会う"手段のひとつが、"書く"ことであり、"つくる"ことなんだ。
何でも、書いてゆくと、どうしてもわからない部分が出てくる。そこは想像するしかない。想像で補って──そうしたら、その先までゆける(かもしれない)と願う。
"つくる"ことの力は、そうやって現れる。
(つづく)
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