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さりげない1行

今年の4月に出した『海のように、光のように満ち』という本の中に、小川国夫さんから「焦るなよ」と言われた場面が出てくる。

「焦るな」ということばの向こうには、いろんなことが見えてくる、聞こえてくる。ぼくはそれを糧にして生きていると言ってもいいくらいだ。

つまり、そのことばをぼくは、「焦って事を成そうとするな」くらいの意味で捉えていた。焼津のバーで、飲みながらふと言われたことばだ。自分の評価を焦って求めるな、と言い換えてもいい。たぶんそんなニュアンスだったんだろうとは思うが…しかし最近、「書くときは、焦るな」という意味もあるんじゃないかと思いはじめた。

というのも最近、10年以上前に書いていた「吃る街」(雑誌『アフリカ』に連載)というフィクションに再び取り組んで、はじめから書き直しているのだけど、すでに書いてある作品なのになかなか書き進められない。気持ちとしては焦って、どんどん先へ、先へ、と思うのだが、塞きとめる何かがあるのだ。書きたいのに書けないというのは苦しいが、そこには何かあるのだと考えると、たしかにありそうだ。しばらく待つことにする。毎日書かなければならないということはない。毎日そのことに付き合っていればよいのだ(つまり毎日、書いているのと同じことになるだろう)。

待っていればどうなるかというと、小説なりエッセイなりの作品(詩でも絵でも歌でも映画でも何でもいいが)が、やがて応えてくれる。

そうなると、面白いことを書きたいというようなことは、どうでもよくなる。作品が応えてくれているのだから、自分もそれに応えなければならない。──ということに集中できてくる。

そんな感じで今日も、移動と仕事の合間に、どうなるのかわからない1行から始め、数枚を書いた。

できあがったものを読む人には、ほんの短い断片にすぎないだろうが、書く人にとっては永遠のような時間がその中に入っている。そう思って手元にある本を開くと、詩の最初の、さりげない1行だって、とてもまぶしく感じられて、その明かりに照らされてまたぼくも書けると思う。

(つづく)


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