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異を唱える人
「それでは納得がいかない」と思うことがある。その時、その後でもいいが、その思いを、伝えるかどうか。
おそらく、その思いを伝えることで、起こることを思い浮かべるだろう。他人事のように言ったが、自分だってそうだ、とくに自分に起こる悪いことを想像してしまう。
では、言わないでおこう、と咬み殺すということもあるだろう。「こともある」どころか、そんなことばっかりだ、と言う人もいるかもしれない。
異を唱えずに、やり過ごせる人のことを、ぼくは、恵まれているんだな、と感じる。向こうからすれば、異を唱えられる人はいいなぁと思うのかもしれないが、異を唱えず、誰とも闘わずして生きてゆかれるのだから、ぼくからすれば羨ましい気もする(ツマラナイ人生になるかもしれないが、それで何とかマシに暮らせると確証が得られるなら自分だってそうするかもしれない)。
自分の考えていることが正しいとは限らないのだから、相手が考えていることも正しいとは限らない。そこは、意見を付き合わせて、話し合うしかないわけだ。話し合いを放棄したら、一緒にやってゆく意味がなくなる。
ぼくは、話し合いによってあらゆることを分かり合えると思うほど能天気ではないが、それでも、人と人は、ことばを尽くして、いや、ことばでなくとも、やりとりを尽くして、分かり合おうとするしかないと思っている。
そんなわけで、ぼくはたまに、怒っている。心の中では、常に何か怒っていることがあるような気すらする。それは自分の活動のエネルギー源になっているかもしれない。
この社会の中では、その"怒り"を放棄したら、"自立"が成り立たないように感じる。
(つづく)
「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、5月25日。今日は、気温の話。
それにしても暑いですね。明日は「5月だということをいったん忘れてください」と天気予報が言っているのを見ました。
※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝に更新しています。