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すぐそばに聴こえた声

願はくは、われわれがいかなる理不尽な抹殺の運命に襲われても、それの徹底的な否認、それとの休みのない戦いによってその理不尽さを超えたいものだ。(渡辺京二「小さきものの死」より)

この数日、悩まされていた頭痛を思って、今日は休みなので、本当に休むことにしました。本当には休んでない休みがあるような書き方をしていますけど、まあそうなんです。あれやこれやとやることが多くて、妙に忙しい。からだが「休めよ! そろそろ休めよ!」と叫んでくれていたんでしょう。

朝のページを書いたあと、自室に布団をしいて、さっそく寝てボンヤリしていたら、ふと、渡辺京二さんの「小さきものの死」が思い出されました。

若き日の渡辺さんは何やら大きな手術をして、病院のベットに「身動きできずにいた」そうです。

窓にそって立つあかしやの裸木の細く組み交わされた枝の間から、びっしりと水滴のように星が見えた或る晩、私は断続する不思議な声を聞いた。それは最初笑い声のようにも聞こえ、隣棟の個室でまた女患者たちがカード遊びなどに興じているものと深く意にも留めず、私は本を読み続けて行ったが、その内それは私の耳の中でまぎれもない泣き声となって鳴り始めたのだった。

渡辺京二「小さきものの死」より

翌朝、渡辺さんは「事実」を知ります。あの声は、天草から運び込まれた「極度に衰弱した母娘」が死んでゆく際に発せられたものだったのだ、と。

彼はそれを伝聞で知ったはずなのに、死にかけている母娘の光景を「見た」と言います。その光景の細部を、文章に書く。そのことが彼を、読んでいる私を支えています。

「人はこのようにして死なねばならぬことがある」──その光景を少年時代に「見」て、脳裏に刻みこまれたことが、渡辺さんの書き続けることの底に流れていると言うのですが、それをこのような短い文章(文庫本で4ページ)に残して、大切にしていたことに彼の強さを感じます。

私もそのようにありたいと思うのです。

渡辺京二『民衆という幻像』(ちくま学芸文庫)

(つづく)

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