あらためて、『アフリカ』とは何だろう[前編]
少し前にお知らせした通り、昨日、ぼくたちの雑誌『アフリカ』が、岡山に初登場した。
表紙のデザインをしている守安くんが岡山在住で、地元の出版社に勤務していて、書店や本が好きな人たちと縁あって誘われたらしい。
彼も本をよく買う人だろうから、一箱古本市で本がある程度出て行って蔵書整理のよい機会になったろうと思う。
※上の写真は、今回デビューした守安くんの新・屋号"Huddle"のTwitterより
『アフリカ』はバックナンバーがメインで、彼の写真を大フィーチャーした号がよく売れたと聞いています。
ぼくの名刺=アフリカキカク・プロデューサーの名刺と、今回あらたにつくったチラシも置かせてもらって、「なにこれ?」と思っていただいた皆さまもありがとうございます。
守安くんによると、強風にあおられて大変だったらしく、ただ『アフリカ』のチラシと名刺は風にのってばら撒けたのでよかった、云々。
いろんなところで繰り返し話し、書いてきたことだけれど、ぼくは当初、この雑誌がどうして『アフリカ』なのかよくわかっていなかったし(いまはわかってんのかよ?)、どう説明していいかわからなくなることが相変わらず多く、困っている。
読んで付き合ってみたら、じわ〜っとおもしろい雑誌なんですけどね。
なんて編集人であるぼくがブツブツ言っていても仕方ない。
今回あらためて、『アフリカ』が何か、思いつく限り、ノートに書き出してみた。
当初は、"同人雑誌"をイーメジしていた。20世紀の日本の戦後文学における同人雑誌をモデルにして、考えたこともいろいろある。いまの人が同人雑誌と言われて思い浮かべる媒体とは、ちょいと違うような気もする。
『アフリカ』をはじめる7年ほど前、1999年頃からぼくは片岡義男という作家を"再発見"して、読みまくっていた。当時、通っていた大学で文学をやっている人たちや先生たちに「片岡義男が面白い」と言っても、あまり相手にされなかった。それでムキになって、ゼミの作家研究で「片岡義男を読む」を企画して熱弁(?)をふるったら「驚いた」と言われたりもした。その片岡義男の本に『個人的な雑誌』という文庫本があり、好きだった。"雑誌づくり"にかんする片岡さんの話を読んで、感化されたり(?)もして、『アフリカ』を始める頃には、"個人的な雑誌"をつくろう、という気持ちもあった。それはいまでも続いている。
(明日につづく)
「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、3月 18日。今日は、"ひなた工房"の話。※毎日だいたい朝に更新しています。