『弱い神』の傍らで
20代の頃にお世話になった作家・小川国夫さんが亡くなって今日(4月8日)で11年がたった。
あの頃は、古本屋からかき集めてきて読みふけっていた本の作者である小川国夫と、近くに来て喋り飲み食いし笑っていた"小川先生"の両方を見て付き合っていた。
一方がいなくなっても一方は残っているわけで、亡くなってから後は、熱く静かな対話がずーっと続いているような感じだ。
小川国夫の本に触れていなくても、ぼくが受け取って、心の中にある何かは変わらず、生き生きしていると感じる。
さて、今年の命日には何を書こう。
晩年に取り組んでいた『弱い神』という大作は、遠くないうちに完成するだろうから、その時は、お話を伺いにゆきたい、と思っていた。全体はわからなかったが、部分的には読んでいたので、聞いてみたいことがたくさんあった。
でも、結果的に『弱い神』は遺作になってしまったので、本が出来上がってきた時には、もう聞く相手がいなくなってしまっていた。
なので、もう"インタビュー"はできない。
本そのものに語ってもらおう、ということにして、書いたのが、『アフリカ』第9号(2010年5月号)に載っている「『弱い神』の傍らで」という短文だ(その後、『アフリカ』別冊『海のように、光のように満ち──小川国夫の《デルタ》をめぐって』に収録)。
それからも、もう9年たった。ここにご紹介します。
『弱い神』の傍らで
それまで沈んでいた恋がこみあげてきたのでしょうか。この人は、確かに恋に陥ちている、とわたしは思いました。
小川国夫には、ピリオドを打つことができなかった長篇小説が幾つもありますが、その代表的な作品『弱い神』が、ようやく本になりました。
この小説は連作短篇のような形式をとり、1980年代、複数の雑誌で発表されていたものですが、完成には至らず、1990年代後半から2000年代前半にかけて、書き直されていました。
私の出会った小川さんは、まさにこの『弱い神』の執筆に向かっている時期でした。
作家にとっては、50年前の処女作品集『アポロンの島』も最新の『弱い神』も、常にいま目の前にあるようでした。
そのとき、彼は海軍少尉でした。
──ぼくはお国のために死にますが、君は勉強してください、と言いました。
本になった『弱い神』では「あとがき」のように最後に置かれている「未完の少年像」には、特攻隊員として鹿屋から飛び立って死んだ先輩の言葉が、まるで昨日の出来事のように紹介されています。
『弱い神』ほど、「戦争」というテーマと真っ正面から向きあった小川国夫の小説はないのですが、おそらくハードルの高い挑戦だったのでしょう。
鑑平さんって人は、とてもうまく忘れることができる人でしたの。自分にふりかかってくる悪事だって、だんだんに毒を抜いて、立ち消えにしてしまう人でしたの。名人だっけです。だからこそ、いく人もの人を救ったんですに。
元々の『弱い神』は、太平洋戦争のさ中に、大井川河口にある架空の町に生きた兄妹を中心とした物語でした。が、新しい『弱い神』は、彼らの祖父にあたる「鑑平」という人物から、その兄妹まで三代に渡る紅林家を中心とした物語に、大きく変貌を遂げています。
昭和の時代に向かう、その前の時代から書きはじめなければ、書き切れない何かが、作家にはあったのでしょう。
もともと異常な人間はいないでしょうがの。その人間が何かと出会っちまうと異常に変わる。同じことが人間同士でも起こる、二人とも異常になっちまう、ってことですに。
この小説のユニークさは、複数の人物の一人称(による喋り声)で書かれている点にあります。
三代に渡る家族の歴史を書くには、その各時代を知る人物に出てきてもらい、話を聞かせてもらうのが一番だ、というアイデアを、そのまま作品のスタイルにしたのでしょう。
話の内容によって、それにふさわしい語り手と聞き手が変わります。
複数の組み合わせによる人たちの対話から、小説世界を炙り出そうとしました。
──実は、自分は声を聞いたんです。自分が一番聞きたかった声が、ようよう聞こえてきたんです。
小川さんは生前、死者たちの声を聞きたいと、くり返し、くり返し語っていました。
ある意味では、「気」とか「霊」などといった現代社会ではあまり本気にされない目に見えない力を、本気で信じていた作家ではないでしょうか。それも、オカルトには傾かず、あくまで現実として信じていました。
こっそり見ていたもんで、余計よく見ましたでさ。遠くにいたのに、すぐそばにいたようだっけです。
とても大切な人と一緒にいる、しかしこの今は長くつづくことはない、今、今、今と自分に言い聞かせていました。
『弱い神』には、「人に惹かれる」とはどういうことなのか、という問いが一貫して流れています。
たとえ戦中のような生きることが困難な時代でも、「人を愛したい」という温かくて、切ない想いが、波の轟きのように聞こえてきます。
誰も彼も、おりんさんを好いていましたの。だからの、だれにも多かれ少なかれ幻が現われたですが、幻ってものは見る人によって違うんですに。
『弱い神』には夥しい死者が出てきますが、「自殺」という重たいテーマも抱えています。
自殺って自分のためにするのよ。
自殺に魅せられて、呪われたような一家が出てきます。まるで「自殺の血統がある」とでも言わんばかりの書きっぷりですが……。
随分のめりこんじまって、ふけったんだが、書いてしまうとまるで脱け殻だな。
自殺者が残した「夢のような遺書」では、作家の「書く」ことに対する感情が吹き出しているようです。
女だったとしたら、一人しかいないこんなにきれいな男を目の前にしたら、欲しいと思うだろう。しかし鉦策さんはもう直らないそうだ。だからきっと、別のやり方で手に入れたいと思うだろう。一緒に死にたいと思うだろう。
結核という、当時、死と背中合わせにあった病気も、『弱い神』における主役のひとつになっています。
「死」とは何か、「生」とは何か、という問いかけの声が、次第に大きくなっていきます。
こういう時局だから進んで時局にまきこまれて命を捨てよ、と言う人がいる。しかし、それは間違えています。人が命を捨てるのは、友のためです。それ以外にあり得ません。
太平洋戦争を背景に繰り広げられる、小川文学の最大のテーマ「聖書」をめぐる対話も、印象的です。
──聖書は幸せをもたらすんでしょう。
──いや、聖書は苦しみをもたらすと書いてありますでさ。苦しみがやたらと並べてあります。
──聖書は間違えたことを言っているって意味ではないでしょうか。
間違いだとか、正しいといったことではない、そういう理屈では通じない、もっと別のことに『弱い神』は迫っています。
──自分はね、すぐにでも国の役にたつ人間をこしらえたい、という声をいく度も聞きました。なんて言い草だ。こういうことを言う者は、国を喰いものにしているんです。
太平洋戦争末期、結核で死んでいく少年を描くあたりが、この小説のクライマックスと言えますが、作家のペン運びは凄い迫力です。これに触れるだけでも、『弱い神』を読む価値があると思います。
爆音だけが聞こえました。だんだん大きくなって、頭上を覆いました。雲がたれこめていたからでしょう、編隊はいつもより低く飛んでいました。近くで爆弾の音がズシンと響くこともありました。ここから太平洋へ出て行くので、残った爆弾を始末して行くのでしょう。二人が紅林さんに着いたころ、爆音はたけなわで、お宅もあわただしく、玄関でしばらく待たされました。與志君の呻き声が聞こえてきました。甲高い悲鳴がまじって、爆音と張り合っているようでした。
『弱い神』は、全て回想によって書かれています。いなくなった人たちの思い出を語っているだけの小説ですが、その中に、恋とは何か、死とは何か、言葉とは何かといった大きなテーマが頻出して、小川文学のエッセンスを濃縮したような作品になっています。
息を引きとった兄に、わたしは呼びかけました。戦争は済んだね。
その最大の魅力は、あの淡々とした小川国夫の書き方を思えば、少し意外にも感じられる、この強い言葉のひとつひとつです。
なぜ「弱い神」なのか、作者は明確な答えを出していません。あえて出さなかったようにも思えます。それは、読みつづける時間のなかに潜んでいるのかもしれません。
三次さんと兄さんのことを話しこんでいたせいでしょう、見なれたそんな場所がいつもと少し違うように思いました。見直す気持ちになりました。あの人たちの〈不在〉が際立っているからでしょうか。