数秘術で救われた私の人生 Vol.2(喜びの種が芽吹きだした時期)
喜びの種が芽吹きだした時期
数秘術で救われた私の人生 Vol.1
「私の原点・家族~争い~」
のつづき。
数秘術で読み解く「人生の物語」には、本当にさまざまな事が描かれている。
その中でも、人がこの地球に生まれ何を喜びとして生きるのかという【魂の根源欲求】が表されている数がある。
それが、
ハート数
というもの。
この、ハート数には、その人の「好き」が描かれている。
そして、このハート数は、火種となっている数で、この数のエネルギーが発動することで、その他の数字のエネルギーを循環させることができ、その人の人生がより活性化されて豊かになる。
逆に、この数のエネルギーが発動しなくなると、人生が停滞がちになるのだ。
私の場合は、そこに
【4】
という数字が描かれている。
【4】とは、
物を形にするという現実化のエネルギー。
その育み方は、地道で段階的。
こつこつと、淡々と、より優れた物へと変化させる様子を描いている。
時間と空間とを掛け合わせているエネルギーであるからこそ、着実で確実性に富んだ現実化を促すパワーを秘めている。
私の両親は、役割は違えど、そういう私の喜びの特性をしっかりと捉えていて、私に手芸と音楽を授けてくれた。
そして、祖母からは、家の庭で、自然の育みを教えてもらった。
音楽の喜びを知ることになるきっかけは、ちょうど小学校に上がる前に訪れる。
お友達が通っていたエレクトーンのレッスンに一緒に連れて行ってもらった時だった。
お友達のレッスンが終わる頃、先生が一緒に歌おう♪と誘ってくれた。
先生が奏でる伴奏に合わせて、鈴やカスタネット、トライアングルで
音を出しながら歌ったんだ。
細かな経緯は、私は覚えてないけれど、おそらく母が、帰ってきた私の様子を見て、私の喜びを汲み取ってくれたんだろう。
私は、小学校1年生から、エレクトーンを習わせてもらうことになった。
レッスンは、先生と一対一のマンツーマン。
この頃の私は、家族以外の大人には特に物を言わない子どもだったので
先生は対応するのに大変だっただろうと思う。
けれども、音に触れることは楽しかった。
毎週休まずに通った。
家にはエレクトーンの代わりに、電子オルガンを用意してもらって練習した。
練習をしている時は、一人だけの世界で、幸せだった。
誰にも邪魔されずに、没頭できた。
同じころに母から教わった手芸(かぎ針、棒編み、ミシンなど)も
私を現実世界から切り離し、自分だけの世界に浸り安心できる場所を創り出していた。
また祖母は、庭の木々や草花、小鳥やカエル、カメ、金魚などを
丁寧に世話しながら私に自然の摂理を教えてくれていた。
自然の中での様々な動植物との対話が、ごく自然な事として私の中に存在しているのも、きっと祖母との体験があったからこそだと思う。
私が幼少期に出会った、これらのすべての要素は、私の「喜び」に繋がっていて
私が生涯、自分らしく生きるために大切な中核を担っていくことになった。
私が育つ過程には、恐怖に怯える時間もありながら、それとバランスを取るように幸せを感じる時間も存在していた。
人は、必ず、自分が描いた「人生の物語」に、こうした「自分を闇から救い出す」役割を持った数字を用意している。
しかし、私は、ドラマティックな人生が好きなんだろうか?
再び、自分に試練を課している。
そのお話は、また後日・・・
お読みいただき、ありがとうございます。
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次回は、「記憶がない高校生時代」
私の人生の中でも辛い経験のひとつだけど、きっと、家族みんなが辛かった時期。
乗り越え方なんて、わからなかった。
ただ、乗り越えなきゃいけなかった。
それでは、また次回。。。
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