身体症状症と診断された日
心療内科で先生に「身体症状症、パニック症、広場恐怖症が考えられます。」と言われたのは、2023年10月末日。
この年のハロウィンの記憶はない。
8月中旬から感じていた今までにない不快感が、9月後半から急速に悪化し、10月中は身体と感情のコントロールが全くきかなかった。
毎日窒息しそうな恐怖に支配され、うまく呼吸ができず、生き地獄だと思った。
あまりの苦痛から逃れたい一心で、希死念慮も強く、思いつく限りの「私でも実行できるかも」という自死方法をシュミレーションする日々だった。
自死を諦めてからは、家族に怒りをぶつけ、喚き散らし、慰められ、支えられ、なんとか生き繋いだが、初診の予約日にはすでに限界を超えていた。
一睡もできずに迎えた朝、行くのは無理だと弱音を吐きながら号泣したが、泣いたことで少し気持ちが落ち着き、その隙に病院へと急いだ。
(両親は「本人は寝巻のままでもいいから、なんとか今日連れて行こう」と話していたと、後から聞いた。)
心療内科にトラウマのあった私は、待合廊下で、マラソン直後のような荒い呼吸のまま、母の温かい手をすがるように握って待った。
仕事を休み同行してくれた父も、入口のホールで待っていてくれた。
(半年前から祖母が同じ病院の同じ先生にお世話になっていて、母からあらかじめ診察の様子を聞いていたので、なんとか受診を決心することができていた。)
診察が始まると、先生が穏やかな声で、またゆっくりとしたスピードで話してくれることに安心し、徐々に呼吸が落ち着いていくのを感じた。
生まれや家族について、またパニック発作や最近の苦痛について丁寧に、かつ、簡潔に話を聞き、最後に冒頭の診断をしてくださった。
その瞬間、約2か月半ぶりに苦痛がすっと引いていくのを感じて、初めて奇跡を体験しているような気になった。
2年半ほどの間“自称パニック障害”を名乗っていたが、医師にそれを認めてもらえたこと、また追い打ちをかけてきた謎の苦痛の正体が分かったこと、が起こした奇跡だった。
(症状は1時間もしないうちに戻ってきてしまったが、やはり苦痛は気のせいではなく、存在していると確信できた。)