『奈緒子』 ー雄介に! 雄介に! 雄介につなげ!
春馬くんとの出会いは…👇
「奈緒子」と書いて「ユースケ」と読む
観た人だれもが思うこと——タイトルは「奈緒子」じゃなくて「雄介」だろって。
なぜ雄介の話になってしまったのかと疑問だったが、原作漫画でも奈緒子の出番は少ないらしい。なんせ漫画の概要が「日本海の疾風(かぜ)と呼ばれる天才ランナー壱岐雄介の成長物語」(Wikipedia)となっているんだから。
物語が奈緒子の回想という形になっているそうなので、そのせいだろう。
春馬くんが出ることで雄介中心の話になってしまったのかと思ったが、そうではないらしい。なぜかちょっとホッとする。
原作は漫画だって。
ポスターの中央に「奈緒子」というタイトル。真ん中に春馬くんの走る姿。その右上に「君のために、走る」。そして左上にはうんとおっきな女の子の顔アップ。
タイトルが女性の名で、「君のために、走る」とあるから、これはよくある恋愛ものだろうと思ってしまう。漫画原作でスポーツと恋愛をかけたものならば、うーん、あまり観る気には…。
観る前の印象はこんな感じ。
この頃はまだ作品レビューなどを読み漁ってはおらず、詳しいことは知らなかったし、春馬くん作品の中ではマイナーのようで、あまり評価されているようには思えなかった。
だから『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』同様、まったく期待してなかった。
初めて観たのは2021年2月頃。春馬くん作品を一気に観はじめて、割と早い時期だった。
『おカネの切れ目が恋のはじまり』で初めて観てから、『サムライ ハイスクール』『14才の母』『恋空』『こんな夜更けにバナナかよ』『大切なことはすべて君が教えてくれた』『陽はまた昇る』『君に届け』、そして『奈緒子』で9作品目。
とにかく新しい春馬くんを観たくて、観てない作品を次々と追いかけてた。春馬くんがどんな作品に出ているのか、どんな芝居をするのかを知りたかった。
急いで観たからなのか、走る姿に気を取られてしまったのか、一度観ただけでは細かいところに気が回らなかった。父親の死をめぐる雄介と奈緒子の確執も、雄介と仲間たちのスレ違いもいつの間にか解決して、駅伝大会でも優勝しちゃった…くらいにしかとらえてなかった。
そしてまだ、自分が春馬くんの何に魅せられているのかがまったくわかっていなかった。
走る人の作り方
見どころは春馬くんの走りだと思った。
雄介の走る姿は美しい。陽に灼けた若くしなやかな肢体、躍動する美しい筋肉に目を奪われる。
走り方がヘボヘボだったら成立しない話なのである。
周りには陸上経験者が多く揃えられているのだろうが、短距離走も駅伝もまったく見劣りがしない。 選抜記録会100メートル決勝のゴールで見せた前傾姿勢を見よ! 岐阜県中学校陸上競技大会 800メートルで優勝、岐阜県高等学校陸上競技大会 800メートルで準優勝の実績のある黒田役綾野剛にも引けを取らないデッドヒート場面を見よ!
春馬くんがサッカー少年であり、身体能力が高いことはよく知られている。『いま、会いにゆきます』で中学生の陸上選手役、『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』でも、校庭10周の罰をきれいなフォームでマジに走っている。まったく基礎がないわけではないだろう。
だけど、陸上経験者でもないのに、短期間でこんなにきれいな走りを見せることができるものなのか。
『恋空』の撮影終了が 2007年5月下旬。そして5月30日から6月19日まで『奈緒子』クランクイン前の合同練習。走りの指導は元陸上競技選手でプロランニングコーチの金哲彦氏だという。
——もともと走るのは嫌いじゃなかったので ”やるぞ!” と。でもこれまで本格的に走りこんだ経験はなかったので、本当にイチからのスタートでした。専門のコーチの指導のもと、走り方のフォームから基礎体力からすべて基本をやりました。最初はそんなに辛いことになるだろうとはイメージしてなかったです。でも実際、すっごく大変でした。……走るのは辛いけど、撮影中はちょっとでも走ってないと不安で。走ったなー、俺!——
あるインタビューでそう話す春馬くん。
太ももやふくらはぎに筋肉がつき、「だんだんランナーの脚になってきた」と言われたり、体重が筋肉で2キロ増えたりしたらしい。
撮影中も相当ハードだった様子で、何本も走らされて「監督はドS」と言ったり、映りをよくするために、通常のスピードより速い走りを求められたりしている。
こうして作り上げたランナー雄介の姿にはウソがない。春馬くんも「そこを見てほしい」と語っている。
そんな雄介の姿を愛でているうちに映画は終わった。
そして春馬くんの何に惹きつけられているのか、いまだに自分はまったく気づいていなかった。
検知できない⁈演技力
春馬くんは演技がうまいという評判はもちろん知っていた。でも、『おカネの切れ目が恋のはじまり』から『奈緒子』まで9作品観てきて、すごい演技をしているなあと特別、感じたことがなかった。
観終わって思うのは、ああ慶太だったなあ、小太郎よかった、すっかりキリちゃんだったしヒロだったし、田中君であり、修二で英二で風早であり、そして雄介だった。
春馬くんの演技がすごかったという感想は出てこなくて、キリちゃんはこのあとどんなお父さんになるんだろうかとか、英二は良いお巡りさんになっただろうなあとか、修二はもう教師には戻れないんだろうかとか、そんなことを思っていた。
春馬くんはそこにはいなくて、演じた人物だけが存在していた。
そして、それがどれだけすごいのかということにさえ気づいていなかった。
ヘタな芝居はすぐにわかる。
ここでそんな顔はしないでしょ、そういう言い方はしないぞって見ているほうが不自然さを感知しちゃうから、ヘタはすぐわかる。
一方、うまい演技というのは、その状況における動きや表情を自然なかたちで見せてくれるので、見ているほうの神経にひっかかることもなく、滑らかに先に進んでいく。うまいと認識させる隙もなく、だ。
そんな明白なことにいまさらながら思い至ったのは、初めて『奈緒子』を観てから数か月後だった。
『ごくせん』第3シリーズ1話に大好きなシーンがある。
強盗犯人に疑われて謹慎処分になった風間廉に、ヤンクミが真相を尋ねる場面だ。
「いつだって真っ先に疑われて犯人扱いされてきた」と怒りをあらわにしたすぐあと、「だれも俺のことなんか信用しねーじゃねえか」と言ったとき、怒りに燃える目に一瞬で哀しみが浮かんだのである。そして「ほんとうに何もやってないんだな?」と聞くヤンクミに「やってねえよ」と廉は静かに答える。
普通なら、さっきの怒りの続きで声を荒げそうなセリフである。ところが春馬くんはこれを静かな声で言ったのだ。
この作品で春馬くんは、ほんのちょっとだけ振りの大きな演技でワルを表わしている。不良に見えないと言われ、ヤワなイメージを払拭しようと制服の下に赤と紫を特別に配してもらったりして演じるワル。その中でふと見せた繊細な表情。
こんな表情するんだ、こんなセリフの言い方するんだとちょっと驚いた。
そして気がついた。
春馬くんは動きにもセリフにも表情にもわざとらしさがないんだ。不自然さがまったくない。ワルたちの中でその演技は光っていた。
あれ? わたし、見落としてた?
そうか! 不自然さがないから、だから気をつけていないとスルーッと先に進んでしまうんだ。
そんなことに気づいたのが『ごくせん』だったというのに驚く。侮るべからず『ごくせん』、そして、恐るべし「10代の若春馬」。
そう気がついてから春馬くん作品の観方が変わった。
ストーリも細かい表情もセリフも、一度観ただけですべてをちゃんと受け取ることができるほど器用ではない。だから何度も繰り返して観る。そして何度でも観たくなる。こういう観方をしたことは今までなかった。
さて、『奈緒子』はどうだったんだろう。
スポーツものだから、どうしてもそちらに気を取られてしまう。だが、スピードに乗って雄介の走る姿だけを追っていると細やかな表情を見落とし、微妙なセリフの言い方に気づけない。
だけど見てよ。
港に迎えに来た雄介が奈緒子を見つけて歩き出したときの表情を、雄介を追ってきた奈緒子が走ってくるだろうかと坂の上で待つときの表情を。
なんてこった、こんな繊細で美しい表情を見落としていたなんて…。
どうもいつも気がつくのが遅すぎる。
春馬くんから目が離せなくなった理由は、きっとこれなんだろうな。
尖って無邪気。笑いつつ泣く目。
これはもう、走る姿を見るためだけの作品なんかじゃない。やっと気づいて観なおす『奈緒子』。
目はもう春馬くんの表情にくぎ付け、セリフの息づかいを聞き逃さないよう耳はダンボだ。(これって、いま通じるのだろうか?)
お宝の表情はいくつもあった。
その中でも重要なシーンを一つ書いておきたい。これは見落とすはずのない特別印象的なシーン。
九州オープン駅伝の最終走者雄介が、途中の給水所で水を差し出す奈緒子を見る表情だ。
大きく見開いた目で瞬きもせず、走りながら奈緒子の顔をずっーと見つづけている。水を持って横を走る奈緒子が後方に下がっていくまで、ずっと、黒目が目の端ギリギリまで寄ってしまうほどに。そして、いま何を見たのかわからないという目をして、顔を正面に戻して走り去って行く。
こんな表情、見たことがない。心をギュッとつかまれる。そして、その目が表わす雄介の気持ちを思う。
ただ単に驚いているだけではない。だれだコイツは? アイツだ。父ちゃんが死んだのはコイツのせいだ。どうして俺に水を渡そうとしてる? なんでいる? どうしてここに? なんで?
戸惑い、疑問がわき上がり、頭の中は混乱するばかり。水を取ることなんてどっかに吹っ飛んだ。
「お前は、この子の差し出した水とみんながつないできたたすきを拒否したんだ」と監督は言う。ちがうと反発する雄介だが、拒否する気持ちはほんとになかったのか。
雄介の表情が映るのはスローモーションで約25秒間、実際には10秒程度のシーンだろう。セリフもない短いシーンが心に突き刺さってズキズキする。
十代の頃って特別なんだろうな。攻撃的なのにお茶目だったり、はにかみながら辛辣だったり、不安や悲しみ、カミソリみたいな鋭利な感情を湛えていながら、やさしく甘くてキラキラした輝きさえも隠すことができない。
あの表情は大人になったらもうできない。
若いことだけを礼賛するつもりはないけれど、若いってやっぱりいい。
尖って無邪気。笑いつつ泣く目。
まさに! 春馬くんを言い表わす世紀の明言。古厩監督のツイッターを見るたびに哭く。
雄介という少年
雄介が直面している問題は、奈緒子との確執と仲間とのすれ違い。
もう忘れた、と言ったが忘れてなどいない。だれも恨んじゃいねえ、と言ってるが恨んでないわけじゃない。だが心に怒りが渦巻いているということでもない。自分でもわからない何か固い塊が気持ちの奥のほうにあって、それをどうしたらいいのかがわからない。
監督に反発して練習を離脱した雄介と、監督をにらみつけて雄介を追った奈緒子。
フェリーが来るのを見ようと岬まで走る雄介は、「あたしも行く」と言った奈緒子が走ってくるかと二度、立ち止まって待つ。そしてほんとに走ってきた奈緒子と歩調を合わせて走る。
走れると信じてくれたと受け取った奈緒子、信じるってのはこういうことなのかと少し感じた雄介。
二人の心がちょっとだけ動く。
奈緒子が何かしたわけではない。奈緒子はいつでも雄介の側にそっといただけだ。
できるヤツを妬む心、才能をひがむ気持ち、走れない自分と失敗した己の情けなさ。無邪気でいいヤツなのがさらに気にくわない。監督を思い、勝ちたい一心でアドバイスする雄介に奥田の不満が爆発する。上原も日頃の思いを雄介にぶつける。
すれ違ってしまった雄介と彼らの気持ち。
どうしたらいいのかわからない。
監督でさえ何もできない。どうしようもないことはどうしようもないのか。
何もできず、ひたすら走る雄介。
雄介が何かをしたわけではない。ただ一生懸命走っただけだ。
その背中を思い浮かべて吉崎がいい走りをする。素直に聞けなかったアドバイスがよみがえり、奥田がリズミカルに腕を振り快走する。
乗り越えるのは自分でしかできない。だれかが答えを出してくれるわけじゃない。自分の足で走れ、自分の頭で考えろ、自分の心で感じろ。
あれ? これって前回紹介した『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』👇👇と同じじゃん。
波切島の空の下、雄介たちはいまも走っているだろうか。
——みんなに会いたくねーか? バラバラになってさあ、また会うために走る、へんな競技だぁ——
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