年の瀬の善光寺街道を往く 松本〜善光寺ロングラン(64km)
はじまり
ある日職場のランニング部のグループチャットにこんな誘いがあった。
企画の内容は年の瀬(12月29日)に松本駅〜善光寺まで善光寺街道に沿って走りましょうというもの。
土地勘の無い方にとってはピンとこないかもしれないが、日本で4番目に大きい長野県、距離にすると64km、オマケに獲得標高は2,000m・・・狂ってる・・・
そんな【緩募】などという緩さとは対極的な企画に対して、年末年始の連休で少しでも走りたかったぼくは二つ返事で参加を表明した。
登場人物
・先輩
この企画の発案者。2週前には松本〜上田〜長野の160kmを走破していたとか。
陸上経験はなく、山から走ることにハマったとのことで、とにかく強いランナーという印象。心の中ではゴリラな先輩(最大限の敬意)と呼んでいる。
・ぼく
この企画に唯一参加した小市民ランナー。サブエガを志しているが仕事を理由にサボることばかり考えている。12月は6回もの忘年会に参加し蓄えは万全。前日はしっかり遅くまで残業し、そのまま付き合いでラーメンとビールをキメたとか。
前半戦(松本駅〜麻績村)
6時30分に松本駅へ集合し、コンビニで補給を揃えていざ出発。
当日のスタート時の気温は-2℃と時間にしては暖かく走りやすい気候。
普段生活している街中でも意識していないと気がつかないもので、「善光寺街道」と書かれた石碑の多さに驚かされる。今回はその石碑を辿って善光寺までの道を進んでいく。
街中を抜けてしばらくすると刈谷原峠の入り口に到着。実は、1年前にも善光寺まで走ったことがあるのだが、この時は善光寺街道を意識しておらず、今回の様な峠道には踏み入れなかったこともあり、いきなり始まる峠道に面食らった。
こんな感じで、峠を登っては下ってを繰り返し、立峠を過ぎ、筑北地域を走り抜けていくと大切通しに到着。
※大切通し
善光寺街道の開通のために筑北から麻績への道中にある大きな岩を道幅3.3m、長さ26m、高さ6mにも渡って切り開いたんだとか。
石碑には「是に依て、旅人并に牛馬の往来聊も煩ハしき事なく、野を越え山を越して麻績宿に到る」と書かれている。
エジプトのピラミッド然り重機の無い時代にこんなことをしてしまうことに格好良さを覚えてしまうのは男の性だと思う。イカれてる。
麻績に到着する頃には30km。ここでコンビニに立ち寄り大休憩。
おにぎりとゼリーとコーラを飲んで体力回復に務めていた時に、先輩はカップラーメンとおにぎり2つをがっついていた。強いランナーの条件は胃腸の強さが大きく関わっていると思う。
この休憩が終われば聖高原、姨捨エリアへ。お腹の消化が心配だった僕は、歩くことのできる上り道だと分かり安堵した。
後半戦(聖高原〜善光寺)
麻績を出発し、しばらく聖高原の山道を進んでいくと突然視界が広がり、目の前には湖が広がる。
湖を過ぎるとそこからは一気に稲荷宿まで降っていく。この日はかなり気温が高かったが標高が高いこともあり、路面には雪が残っていて、とても滑りやすかった。
足元に気をつけながら急な坂道を下ることは思っていた以上に足に負担がかかる。
稲荷宿を過ぎると篠ノ井の住宅地を走り抜ける。この時点で暑さにやられてしまい、思えばこの時が体力的に一番キツかった。先輩に着いていくことができず、平地にも関わらず歩き出してしまう体たらくっぷりである。体に力が入らなくなってきていたので、コンビニにてモンスターなどを購入し無理矢理糖分を補給。そこからは歩いたり走ったりを繰り返し、丹波島橋に着くとそこは見慣れた長野市の景色が広がる。ここまで来れば終わりがイメージできて体力も回復する。
思えばフルマラソンも一番キツイのは35km付近で、最後の5km〜はもう一度頑張ろうという気持ちになれる。これは、5kmは普段走っている距離感を想像しやすいからっていうのもあると思う。イメージできればメンタル的に余裕ができてそれが走りの余力に繋がるとか?
長野駅へ着いた頃には完全に回復していて最後は善光寺まで参道をキロ4で駆け上がり無事ゴール!冬休みの大きな宿題をクリアした瞬間だった。
善光寺に到着してからは、本殿と佛足石を参拝して先輩とは解散。
その後は長野駅近くの銭湯で汗を流し、帰りはしなの(特急電車)で松本へ帰ると7回目の忘年会である焼肉という名の宴へ繰り出すのだった。
走ると7時間以上かかる場所からも1時間で帰ってくることのできる電車のある時代に生まれたことに感謝感謝!
終わりに
改めて今回同行した先輩にはこのような機会を設けていただき感謝します。
かれこれ松本〜長野間は10回以上走ったことがあるようで、ナビを見ずに余裕綽々で60km以上走ってしまう様子はゴリラそのものでした。(褒め言葉)
登りではお尻を、下りでは前腿をと前後に酷くダメージを負ってしまったものの、サブエガに向けて良い走り納めができたと思います。2024年こそは走った1年だったと言える1年に!