見出し画像

春枕〜宗教によらない命との向き合い方〜

現代では、わたしもその中のひとりですが、特定の宗教を持たない人が増えています。観光ではなく、お寺や神社に行く機会が少なくなり、伝統的な宗教行事に触れる機会が減少し、命や死について考えることが、日常の中では少々遠いものになっているのではないでしょうか。

どんなに技術が進歩し、生活が便利になっても、誰もがいつか自分の命が終わりを迎え、また大切な人と別れなければならないという現実は避けられないものです。そんな時代の中で、お寺や特定の宗教によらず、もっと身近に、そうした命と向き合うための心の拠り所が、必要だと感じています。


では、命と向き合うということは、どんなことでしょうか?

例えば、自然の中で感じることや、思い出に触れることから始まるかもしれません。
朝日がのぼり、夕日が沈む様子。満月の夜に月を見上げること。春に木々が芽吹き、花が咲き、晩秋に枯れ葉が落ちること。そういった自然の巡りにふれると、私たちが自然の一部であり、命の流れの中にいることを感じることができます。特別な教えや儀式がなくても、こうした自然とのつながりに意識を向けることが、命について感じることになります。

また、亡くなった大切な人を静かに思い出す時間も、宗教にかかわらず命と向き合うことです。過去に一緒に笑った日々や、あたたかさ、その人がくれた言葉を思い浮かべること。それは、私たちにとっての小さな心の儀式のようなもので、大切な存在とふたたび出会う時間です。その思い出が、私たちの心に温かさを与え、命の重さや大切さを教えてくれます。

ろうそくの炎を見つめる時間もまた、命と向き合うひとときになるものです。小さな灯りがゆらゆらと揺れるのを見ていると、その光の中に、自分や大切な存在の姿を重ねることがあります。命が消えゆく儚さと、今ここにある温かさを感じ取ることができるのです。こうした、日常の中でのささやかなひとときを持つことがが、今を生きる支えになるのではないでしょうか。

私たちは自然の中で、思い出の中で、そして静かな時間の中で、いつでも命について考えることができます。誰もが自分のペースで、自分の心に寄り添いながら、生と死に向き合うことができるのです。それは、どんなにが時代が進歩しても、変わることのない、生きるうえで最も大切なテーマです。

春枕は、そんな静かでやさしい時間を過ごすための場所です。生死による不安やかなしみを抱えたときに、そっと一人で訪れることのできるところです。ここで過ごす時間が、どうか心のよりどころになりますように。