あなたの好きな本を知りたい
◆ 憧れのひとの好きな本を知りたい
これは世の読書好きにとっては時に荒々しい衝動をも伴う願望であり、しかしその強さの割には叶えられる機会の少ない切なる願いであろう。
前置きはともかく、これから「推しの愛読書を想像するのは楽しいな〜」という話をします。
すべてはわたしの個人的願望であり、何を考えようが破れぬ夢に過ぎないが、答え合わせができない以上、この想像は楽しい読書に還元されるだけなので一挙両得で平和的である。
さて、わたしの憧れといえばあんさんぶるスターズ‼︎ の風早巽だ。文筆と詩作が趣味であることやホームボイス等から推察するに、けっこう本好きだと思われる。願わくば聖書以外の巽さんの愛読書を知りたい。
『スカウト!ケモノサバイバル』のストーリー内に以下のやりとりがある。数少ない手がかりだ。
◆ いったい何の本なんだ
念願が叶いそうな瞬間に風が攫っていった。
タイトルをさほど重視していないっぽいあたりが“らしい”。親しい仲間のために昔読んだ知識から実際にかまどを作ってあげているので、けっこう読み込んでいて愛着がある本のように思われるが、これ以上多くを語らない。経験を糧として人のために役立てる優しさと、名より実を取るその姿勢が素敵である。
◆ 『ロビンソン・クルーソー』では?
ともあれ、気になって仕方ないので、ああでもないこうでもないと検討してみた結果、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』が最有力候補なんじゃないかという結論に至った。(2023年秋時点)
無人島にたったひとりで漂着したロビンソン・クルーソーがサバイバル生活をする小説です。
◆ おまけの根拠
結論は出したしこれ以上何を書いても虚言だからな…という一抹の侘しさがあるが、以下が根拠です。
◇ ケモノサバイバルを踏まえて
→ 当該ストーリーは、「サバンナの獣、ハイエナ王子の役作りに難航するジュンくんを助けるべく、みんなでサバイバル生活をやってみよう」みたいな内容。この話の巽さんは、行き詰まった後輩のもとへアイデアと釣竿とキャンプセットを持って現れる。
これらの台詞から推察するに、巽さんが考えているサバイバルの肝は、不屈の精神と覚悟、道具を作って使う創意工夫などだろう。
まさしく『ロビンソン・クルーソー』だ…。
わたしはあらすじの説明が苦手なので先程はかなり雑にまとめたが、『ロビンソン・クルーソー』はこういう小説でした。
先述の台詞の条件としては、作中で少なくともかまどを作っている必要があるのだが、クルーソーはその勤勉さと根気強い試行錯誤によって、かまどどころか、カヌー、器、傘、煙草のパイプ、枝編み細工の籠、バター、チーズ等、なんでも自給自足で拵える。
第11章の「パンを作る」はこの章丸々、島でパンを食べるために、クルーソーが穀物の栽培から器具の製造、調理までひとりで頑張っている話なのだが、読んでいると自分も何でもできる気がしてきて非常に前向きな気持ちになる。
これは脱線だが、ケモノサバイバル自体の巽さんは、親身になって協力しながらも、それよりみんなで仲良くキャンプしたがっているぽさがあってかわいい。
妙に用意周到で手際がいい巽さんの登場によりとんとん拍子で話が進んでいくのだが、サバンナの獣から人間に話をスライドさせているし、なんかこのひと誰よりも張り切っていないか? 仲間に入りたかったんだろうかなぁ。
◇ 性質・信仰を踏まえて
→ 巽さんの生い立ち(実家が教会・隠れキリシタンの末裔)を考えるに、
・キリスト教文化で育つ。
・過酷な状況下でも信仰を捨てずに生き延びることが切実な問題。
このあたりからの影響は外せない要素だと思うのだが、『ロビンソン・クルーソー』でも重要なテーマが「信仰」である。
ロビンソン・クルーソーは父の忠告に逆らい船乗りとなるが、乗っていた船が難破。漂着をきっかけとして信仰に目覚め、長きにわたる孤独な無人島生活の支えとしている。
たいてい西洋文学はキリスト教信仰が背景にあるから、どれを読んでも(門外漢的には)だいたい巽さんの価値観と共通していそうな感じがしてきて何とも言えないが、この作品はかなり信仰のウェイトが大きい。
そして、クルーソーはたびたび父の忠告に逆らったことへの後悔や反省を語る。父への反省と神への祈りは源泉が同じであるような印象を受ける。
巽さん関連主要エピソードを読んでも、父から叱られた記憶がトラウマになっていること、家族の意向に反してアイドルを志したこと、ユニットの父性的役割を担おうとしていることなどから、父親に対しては反発と同時に、信仰と結びついた尊敬やおそれとも切り離せない複雑な感情を抱いていることは想像に難くない。
あんまり自分を基準に他人を決めつけるのどうかと思うが(※本末転倒)、わたしだったら自分と境遇や価値観が近くて感情移入しやすい登場人物が出てくる物語が好きなので、『ロビンソン・クルーソー』は(少なくともわたしが読むよりは巽さんが読む方が)心の琴線に触れるタイプの本なんじゃないだろうか。
わたしはどれだけ感情移入できて熱心に考えても、本質的には絶対理解できないものこそ興味深く魅力的だなぁと思う。
他にも、玲明学園入学直後に山を散歩していたら地下墳墓を見つけたので活動拠点にしたとか、VR空間の草原をとりあえずずんずん歩いてゆくみたいな、やけに冒険心に富んだフットワークの軽いエピソード群などからも、無人島開拓の精神と近いものを感じるため、当たらずとも遠からずな希望は持てる。
考えれば考えるほど、巽さんは『ロビンソン・クルーソー』をかなり好んで読んでいる気がしてくるのだが、こんなものはいくら考えようが真相は闇の中で、わたしはわたしにとって都合のいい範囲での予測や願望しかひねり出せない。
他の本なら『十五少年漂流記』も親和性が高いような気がしているが、こちらはまだ読んだことがない本なので想像のしようもない。
そうせざるを得ないので仕方ないとはいえ、わたしとてこんな狭い無人島をひとりで彷徨い続けたいわけではない。出来ることならこの島から脱出し、同じ船から広い大海原を見て潮風を浴びたいんだ。
何かのストーリーで本人の口から好きな本の話を聞ける日が来るといい。
ええい、まどろっこしい、聖書を読め。
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