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ようこそ傷だらけの人生よ

いつか、自分の人生を生きてみたいと思っていた。

自分の道を直走る人間には魅力を感じつつ、自分にはそんな能力がないと諦めて向いてない道を生きるしかないと感じていた。

私は、よく天邪鬼と言われる。
自分でも、社会不適合者だと自覚している。

中学までは地元の公立校に通っていた。テストの成績は良かったが、授業態度が悪く教員の中でかなり嫌われていた。他人の言うことを聞くことが嫌いで、自分の行動を制限されるのが気に食わなかった。自分の興味関心が湧かないことに関しては徹底的にやらない主義だった。たとえやらなければいけないことでも好きでもないことだったら取り組むことができない体質だった。そのお陰で、大学の進学はギリギリで留年に片足を突っ込んでいた。

こんな人間でも、就職活動は真剣に取り組んだ。数ヶ月友達に一切会わず、SNSをスマホからアンインストールして就活だけを取り組んだ。

しかし、それだけ密度の濃い時間を過ごしたにも関わらず、50社以上受けて1社しか内定が出なかった。努力が足りない一面もあるが、単純に向いてなかった。

当時から就活を斜に構えて捉えていた。

同じような格好や髪型を強いられるのが嫌いだったし、就活メイクやオフィスカジュアルをダサいと一蹴してやらなかった。一人称を「私」に無理やり変えて普段全く使わないぎこちない話し方でウケを狙い、盛りに盛った学生時代の話を初対面の人に30分少々するだけで優劣をつけられるのが嫌いだった。

仕事する意味や人生の目的を問われても、目前の人間はおそらくそんなに視座高く仕事をしてないだろうと疑念を抱きながら面接を行っていた。

「こうすれば面接官の心に響く」というテクニックをいくつ利用しても、自分の熱量が乗らないので思うように話せず苛立つばかりだった。

今となれば、随分心が狭かったと反省しているが、当時感じた違和感はあながち外れてはいなかった。

というもの、実際に会社員として働いてみて分かったことだが、、、

本当にサラリーマンという職務形態が向いていない。

まず、他人の指示を聞くことができない時点で向いていない。毎日同じ時間同じ場所に通うのが耐えられない。オフィスは人が多くて集中できなくて、ブースにずっとこもっていることが許されないと集中力が発揮できない。目の前に課長や部長が座った日にはもうおしまいだ。ずっと上司の視線が気になって気が落ち着かない。フリーアドレスだが、自分の決まった席が取られるとやる気が一気になくなってしまう。かと言って、在宅勤務だと一日中家の中にいないといけない。家の中にいるのに会社に時間を縛られ、PCの前にいることを強いられる状態はストレスでしかない。さらに、Mtgが嫌いで、基本的にはテキストで全て完結させたい。しかし、朝会や定例報告が本当に苦痛だ。同じ部署でも他人の業務内容に関心が一切なく、5分以上他人の話を聞くことができない私にとっては拷問だ。

優秀なサラリーマンは学級委員長的存在だと思う。
他人の話をじっくり聞いて意図を汲み取り、様々な人間に好かれる完璧な人間なのだろう。そうなりたいと幾度も夢見たが、その都度現実が不可能であることを叩きつける。

そんな私でも、どうにかして活躍して生き残らないといけないと思い、仕事で成果を残すコツや転職方法を調べた。会社内でスキルアップをしようと試みた。しかし、すぐにその情熱は冷めてしまう。徐々に成果を出している同僚を側から見て、どうして自分にはできないのか悩んだこともあった。

転職方法やスキルアップの動画を見ても心に刺さらなかった。いまいちピンと来なかった。憧れる人物やロールモデルは、サラリーマンではない「普通じゃない人」たちばかりだった。会社の中でもSNSでもいわゆる「一流ビジネスマン」に全く惹かれなかった。

転職しようと試みるも、3年以内に転職や休職、退職をしたら次の会社に受かりにくくなる、という正当な意見が返ってきて落ち込む一方だった。

そんな時に読んだのが「傷口から人生」というエッセイだった。

就活の最終面接直前でパニック障害になった著者が、スペインの巡礼などを通して自分の人生と向き合って前に進む内容だ。就活失敗の心情や経歴、人間関係に対する悩みが自分とリンクして共感する部分がとても多かった。

今までの他人の向き合い方や社会の向き合い方を根本から見直したいと願うと同時に、著者のように一度人生を振り返る時間が欲しいと思った。

どこかで自分の経歴が傷付いたらいいのにな、、、

そう思っていたら、まさか適応障害となって休職になるとは思わなかった。

9月末から会社の上司と面談するのが怖くなり、10月に目標決めの面談をしている最中、全身から汗が吹き出てきた。喉が渇き声が霞んで心拍音が耳にこびりついた状態だ。

「やすめ」

上司にそう言われた瞬間は少しショックだった。休んだら世間から置いていかれるのではないか心配になった。

今年2回目の精神科への通院、産業医面談を重ねて、休職となった。

経歴に傷がついた。もう正当な出世ルートから外れた。
でも、自分らしい人生だと何故が笑ってしまった。

生まれて初めて、自分の人生を歩いていく感覚が芽生えた。

もうどうなろうと知ったことではない。いくらでも経歴に傷をつけられる。好きに生きていいんだと自分を肯定できる。

この傷が勲章になるその日まで、これから歩き続ける。自分のやりたいことに集中しよう。自分の人生を生きよう。

私の人生はこれからだ、みたいな少年漫画の最終回みたいなセリフを吐くことを許してください。

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