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一句鑑賞 クリスマスイブ取り放題のサラダ取る/正木ゆう子

クリスマスイブ取り放題のサラダ取る 正木ゆう子

所収:私家版句集『水晶体』

25日のクリスマス当日よりも、前日のイブの方が皆どこか気持ちが逸って盛り上がっている気がするのはぼくだけであろうか。

自分の子ども時代を振り返ってみても「プレゼントやケーキがもらえるクリスマスよ、1秒でも早く来い!」と毎年悶々としつつ楽しみにしていた記憶があるので、やはりイブ特有の空気感はそういった人々の「何かに対する期待感」や「待ちきれなさ」の蓄積の為せるわざであるのだろう。
(余談だが実家がガッツリお寺のぼくだが、両親がわりと柔軟な人間だったおかげでクリスマスも一般家庭の子と同じように楽しく過ごさせてもらえた。外壁イルミネーション、とまではさすがにいかなかったが、クリスマスツリーくらいはちゃんと出してたりもした。)

さて、掲句もそんなイブのそわそわとした雰囲気を纏っていて好きな一句だ。
「取り放題」や「サラダ」といった語からは、ほどよく力の抜けた軽みも感じる。
なんというか、一句全体に日常からほんの少しだけはみ出している時間の多幸感のようなものが滲み出ている気がするのだ。

景としてはイブのお祝いに恋人や友人、家族などと出かけたレストランでのものだろうか。
「取り放題」というシステムはいつだって楽しい。好きな具材を好きなだけ取りにサラダバーへ向かう足取りは、どこか楽しげな落ち着かなさを感じさせる。もしかしたらメインの料理が来るまでの間に空腹が満たされてしまうのも構わず、何度も足を運ぶのかもしれない。
そう、あくまでもサラダは「前菜」なのだ。
一食のなかに於いては、メインの料理の前のいわば「イブ」のようなものである。
それでもついつい取り放題に手が伸びてしまうのは、クリスマスイブならではの浮き足立つ気持ちとリンクしているからではないだろうか。
句中、敢えて上五を字余りにしてまで「イブ」という日に特定した必然性もそのあたりにある気がする。
まだ翌日のクリスマス本番が残っているという希望があるからこそ、人々はイブの夜を全力で楽しむことができる。
それは、これから始まってゆく大切な人たちとの食事の時間への期待感にも通じている。

さて、現実世界でも今日はついにクリスマスイブ。
ぼくたちにも楽しむ時間はまだまだ残っている。


今回五月ふみさんにお声がけ頂き、この「好きな俳句の一句鑑賞アドベントカレンダー」の企画に参加させて頂きました。

今日までたくさんの「クリスマスプレゼントのような俳句」が紹介されてきました。
どれもきらきらした素敵な句ばかりでしたが、いよいよ明日はクリスマス本番🎄
このアドベントカレンダーも最終日です!
最後を飾る俳句鑑賞も楽しみにしてます✨

ふみさん、この度は素敵な企画にお誘い頂きありがとうございました!

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