大切なものは、目に見えない サン=テグジュペリ 『星の王子さま』
何を今さら? 子どもの読むものでしょう?
タイトルをご覧になって、もしかしたらそう思った方もいらっしゃるかもしれない。
サン=テグジュペリ作『星の王子さま』を読もうと思い立ったのは、音楽座の作品であるミュージカル『リトルプリンス』を鑑賞する日が、迫ってきたからだ。
記憶はずいぶんあいまいだ。どんな話だったか思い出せない。飛行士だのキツネだの花だのが出てきた覚えだけ、うっすらとある。
このまま当日を迎えてしまっては、出演する土居裕子さんにも、井上芳雄さんにも、花總まりさんにも失礼だろうと思ったのだ。
すぐに読もうと、新潮文庫のKindle版を買った。読み始めて2時間ほどで読み終わった。
ミュージカルを観に行く前に、読んでおいてよかったと心から思う。
飛行士という存在
ざっくり言ってしまえば、砂漠に不時着した飛行士が、他の星から来て地球を旅している王子と出会い、絆を深めていく物語だ。王子は、目に見えない大切なものを知っている。王子の接する大人は、大切なものを見失ってしまっている。大人になりたくない飛行士の「ぼく」と王子が出会い、言葉を交わす。王子と「ぼく」の間に芽生える心のつながりは、「絆」がもたらすものを教えてくれる。
砂漠に不時着する「ぼく」は、作者サン=テグジュペリ自身を投影した存在だろう。大人になりきれないというより、なりたくない。大人になる過程で役に立つことも覚えられたけれど、周りのようになりたいとは思っていない。
飛行士は、「王子」と大人の間にいる。
王子の変化
王子が自分の星を出て旅した先は、さまざまな星たちだった。
ある星では王様、またある星では酔っ払い、またある星では実業家と出会う。
王子が出会った大人たちは、何がしたいのだかよくわからない。
王様は、星を治めるという。だが星には自分しかいない。
酔っ払いは恥を忘れるために酔っぱらうという。そして恥とは、酔っぱらっていることだという。
実業家は、星を集める。星を集めて自分のものにするのが目的だという。集めた星で何かをするわけでもなく。
もちろんすべて、大人をシニカルに見た表現である。
目的と手段を取り違えていたり、目的を見失ってしまっていたり。いや、目的とか手段とかいう言葉を使うこと自体も、そぐわない。
人にとって大切なことを忘れ、どうでもいいモノばかりを追いかけている存在が大人。王子の目には、そう映っていた。
いくつめかの旅先として地球にやって来た王子は、キツネと出会って「絆」を知る。
小さな星で3本のバオバブの木と、1輪の花と暮らしていた王子。
旅先で小さな殻に閉じこもり、どうでもいいものばかりを追いかけ回す大人たちを見てきた、王子。
やっと訪れた地球で初めて知った、心を通わせるということ。
自分にとって花がなぜ特別だったのかを理解した彼は、星に戻る。
王子と「ぼく」の出会い。結んだ絆。別れ。
王子はいなくなっても、「ぼく」の中で生き続けている。
終わりに
サン=テグジュペリは、『星の王子さま』冒頭の献辞を「レオン・ヴェルトに」としている。
王子はこの親友を投影したものかと思っていたが、最後まで読んで、王子も「ぼく」もサン=テグジュペリ自身だろうと印象が変わった。
人と人との絆を表しているというより、作者の内面を深く掘り下げた物語に思えたのだ。
さて、この作品を原作とした音楽座ミュージカルは、どのようになるのだろう。
今回東宝が上演する『リトルプリンス』、飛行士とキツネは同じ井上芳雄さんが演じるという。なるほど。
王子は加藤梨里香さんと、レジェンドと言ってもいい土居裕子さん。土居さんの王子は24年ぶりだという。私が観に行く公演でも、土居裕子さんが王子を演じてくれる。
そして、演出は昨年から『シャボン玉とんだ宇宙までとんだ』『マドモアゼル・モーツァルト』の2作品も担当した小林香さん。
音楽座出身のミュージカル俳優と、音楽座作品を2作続けて手掛けた演出家の組み合わせ。どんな化学反応を見せてくれるのだろうか。
楽しみにしている。