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「闇」の煌めきに魅せられる 浦井健治が表現する佐渡の三世次とは 『天保十二年のシェイクスピア』

※本文でフルにネタバレしています。これからご覧になる方はこのnoteを読まずにおくことをおすすめします。

邪悪で純粋
醜くて美しい
不自由で自由

『天保十二年のシェイクスピア』で浦井健治さん演じる佐渡の三世次を観ていると、そんな言葉が浮かんでくる。

以前も少し触れたが、本作は井上ひさしさんが『天保水滸伝』を元にシェイクスピアの全作品を入れ込んで書き上げたもの。作品についてのざっとした説明には、東宝のホームページからあらすじを引用させていただこう。

江戸の末期、天保年間。下総国清滝村の旅籠を取り仕切る鰤の十兵衛は、老境に入った自分の跡継ぎを決めるにあたり、三人の娘に対して父への孝養を一人ずつ問う。腹黒い長女・お文と次女・お里は美辞麗句を並べ立てて父親に取り入ろうとするが、父を真心から愛する三女・お光だけは、おべっかの言葉が出てこない。十兵衛の怒りにふれたお光は家を追い出されてしまう。

月日は流れ、天保十二年。跡を継いだお文とお里が欲のままに骨肉の争いを繰り広げている中、醜い顔と身体、歪んだ心を持つ佐渡の三世次が現れる。謎の老婆のお告げに焚き付けられた三世次は、言葉巧みに人を操り、清滝村を手に入れる野望を抱くようになる。そこにお文の息子 ・きじるしの王次が父の死を知り、無念を晴らすために村に帰ってくる―。

主役はみなさまの想像力。この争いの行く末はいかに・・・

引用元:東宝ホームページ

作品全体についてはまた別なnoteを書くとして、とにかく素晴らしい佐渡の三世次だったことを記録しておこうと思う。このため「佐渡の三世次という男の一代記」として見た本作について、ここに記していく。


三世次、登場

清滝村で『ロミオとジュリエット』のモンタギュー家とキャピュレット家よろしく、よだれ牛の紋太一家と小見川の花平一家が睨み合っているところに転がり込んで来たのが、佐渡の三世次。せむしで足を引きずり、顔には火傷の跡。どこを見ているのか焦点の定まらぬ目。毒蜘蛛を連想させる動き。身の上をひとしきり語った後、「三世次のブルース」を妖しく野心たっぷりに歌い上げる。

セリフと歌がナチュラルにつながっており、単なる歌というよりシェイクスピア劇のセリフにも聞こえてくる。一言一言が粒立っていて、ギラギラしている。ビリビリと鼓膜を震わせる音に込められた得体の知れぬ気味悪さ。ゾッとする。

人ならぬものが、現れた。

三世次、一目惚れする

尾瀬の幕兵衛を紋太一家が襲うところに遭遇し、花平一家につくことを決めた三世次。閻魔堂の老婆(明らかに『マクベス』の魔女)からの予言を受け野心を増してゆく三世次。

華々しく清滝に帰ってきたきじるしの王次に父の亡霊(もちろんニセモノ)を見せ、叔父と母への復讐を誓わせる。わざわいの種を撒き、蜘蛛の巣に獲物をかけていく。そんな三世次がにんげんらしい姿を垣間見せるのが、賭場の場面だ。

面白くてたまらない、というかのように三世次は賭場を眺めていた。ふと左に目をやり、ある女に目を奪われた瞬間、顔を伏せ端による。反対側から王次がやってきて、何の遠慮もなくガン見するのとは対照的。

2人の男が、お光に一目惚れする瞬間。

見目麗しい王次が何の衒いもなくじっと見つめるのとは対照的に、醜い三世次は顔を伏せチラチラとお光を見る。ほんの少しだけ、にんげんになる。

三世次、人殺しになる

新しい代官を接待する花見の席。生き別れの双子であるお光とおみつが混乱を招いたせいで、死体が増えていく。宴席の最中、お光を殺そうとしてお文を殺してしまった三世次は死体を隠すが、お文の死体が露わになった瞬間、小さくなって目を背ける。

コロシハヤラナイ、と言っていた三世次が一線を超えてしまった。毒蜘蛛は目的のために手段を選ばなくなり、さらに大きくなっていく。

三世次、清滝を手に入れる

病に臥せった幕兵衛をそそのかし、ことばにたっぷりの毒を盛ってお里と幕兵衛を心中に追い込んだ三世次。兄貴分の利根の河岸安を関八州親分衆の前で褒め殺し、陥れ、死体に唾を吐きかける。

三世次はついに清滝を手に入れた。「さど屋」を営み賭場でも儲けるが、おさちもお光も手に入らない。そもそも女はモノじゃないという根本的なところがわかっていないのはどうかと思うが、仕留めた獲物の数だけ確実に大きくなる不気味さが、ツッコミたい衝動を上回る。もう背中を丸めていないし、足もほぼ引きずっていない。自分を卑屈に見せるための「演出」をする必要がなくなったからか。背筋が凍る。

三世次、おさちを手に入れる…?

お光殺しの下手人(実際そうなのだが)として代官所で折檻される三世次は、折檻するゴロツキたちを金で懐柔し、代官・土井茂平太をおびき寄せ、酒樽ん覗き込んだ瞬間首根っこを掴んで樽の中に突っ込み、溺死させる。

茂平太の身体に乗りこれから書く手紙の内容を捲し立て、樽から飛び降りる三世次は、温泉でも入るような気楽さで人を殺めたうえに楽しそうですらある。あそこにいたのは、人の形をした怪物だった。

その上、そこへやってきたおさちを口説きにかかる。何という強欲。俺を殺せと迫り、その美しさがなければ俺は代官を殺していないとおさちを揺さぶる。喜劇味あふれるテンポ感でおさちを揺さぶったあと、階段で逆さになって「でなきゃ俺を拾い上げてくれ!」と叫ぶ。

さっきまで怪物だったそれは、ひとりの恋する男になっていた。手段がまったくもって間違っているけれども。そんなやり方しかできない三世次があわれに見えた。

三世次、天馬に乗る

金で御家人株を買って代官の座に収まり、おさちを妻にした三世次。豪奢な着物が巨大モンスターにはよく似合う。「殺せなかった」を受容と受け止めた三世次と、殺すことすら拒絶したおさち。阿蘭陀わたりの鏡を突きつけられ、三世次は己の醜さに慄き、亡霊の幻覚を見て錯乱する。おさちが怪物をにんげんに戻した瞬間だ。圧政に耐えかねた百姓たちが三世次のもとに大挙する。最後まで生き抜こうと足掻く三世次。清滝に流れ着いた時すでに死んでいたはずの男が生に執着するとき、不思議な輝きが男を包む。

「馬だ!天馬だ!天馬を持ってこい!」
散々悪行の限りを尽くしてきたモンスターの咆哮が、天馬を呼び寄せたように思えた。

三世次は、生き切ったのだ。
野望を抱き、生き切ったからこそ、煌めいた。

ふと舞台の上を見やると、鏡に映る客席。
三世次の煌めきに魅了されている自分が、怖くなる。

エピローグ

浦井健治さんの演じた三世次は、強い怒りのエネルギーと野心ギラギラの毒蜘蛛、という感じだったのだが、ところどころにんげんらしかったのが惹かれたポイントかもしれない。怒りがまっすぐ世の中に向けられていたところに純粋さすら感じた。

そして三世次の好きポイントはまだまだある。以下にとりあえず挙げてみた。

・雑踏の中で周りを舐め回したり顔を隠したりしながら、足を引きずり大きく動く三世次
・幕兵衛の切り落とした耳を齧る三世次(怖い)
・王次の父の亡霊に飛び蹴りする三世次
・焔はごうごう、釜はぐらぐらのシーンで上からそれを見下ろす三世次(怖い)
・「ことば・ことば・ことば」を歌う三世次
・殴り込みを建物の上から煽る三世次(身軽!)
・人の見てないところで姿勢も歩き方もシュッとなる三世次
・「…犬に食われてくたばるがいい!」と叫び唾を吐く三世次
・幕兵衛を追い込み毒を回す三世次
・芝居歌が上手すぎる三世次

あまりに三世次に惹かれすぎ、名古屋の大千穐楽を見届けることにした。どこまで行ってしまうのか、怖くもあり楽しみでもある。

5回目の観劇時に、三世次(違った。浦井健治さん)のサイン入りプログラムをいただけたのが、今年1番の観劇記念。

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はるまふじ
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