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言い訳と建設的な意見の違い
こんにちは!ハルログです。
先日、直属の上司からこう言われました。
「否定すんな!マイナスに考えるな!まずできる方法を考える癖をつけろ!」
仕事上であるトラブルが発生。その対応として私はA案を上司に伝えました。
「いや、それは○○のところがリスクだ。こっちのB案でやってみろ」
私は言われた瞬間、「いや、これで進めると後々の業務の効率が悪くなるし、そもそも期限が迫っている中で、今からこの対応は難しいのでは・・・」こういった懸念点が頭をよぎり、「いや・・・」と意見を言いながらも、建設的な話し合いをしたいという意図で切り出した。
しかし、「いや・・・」と声を発した瞬間、冒頭の「否定すんな!できないこと考えんな!」という言葉が飛んできた。
自分としては否定というより、よりよい案を話し合いながら作っていくための建設的な進言のつもりだったが、それを頭ごなしに一喝された。
上司からは日頃「何か良いと思うことがあったら、どんどん提言しきてくれ。お前は全然意見を言ってこなすぎる。受動的過ぎる」と、言われていた。
私自身、何かを言われた時咄嗟に声が出なくなるタイプで、急に話を振られたりすると頭が真っ白になり、何も答えられなくなる。
そんな自分が、「いや、それはダメでしょう。なぜなら・・」と珍しく自分の意見を主張するタイミングだったのにも関わらず、それをピシャリと鶴の一声でねじ伏せた上司に対して、モヤモヤが止まらなかった。
「お前が意見を言え!って言っておきながら、実際に意見言おうとすると、ねじ伏せるとか、言ってることとやってることが全然違うじゃねーか!!」
そんなモヤモヤがずっと頭をループする。
社内での上司の理不尽な言動や無茶振りはあるあるだ。自慢じゃないが、自分自身もこれまで何度も転職して、数々の上司の部下を経験してきた。
今回が初めてじゃない。そういう意味ではそういう耐性はできてきているが、「今後どうしていけばいいんだろう」と、次同じことが起こった時の対応をどのようにすればいいのか、それを考えた時にズーンと心が重くなるのだ。
こういう時、もう上司から言われたことは「人間ではないものから言われたこと」と捉えるようにしている。
例えば、自分がドラマの主人公だったとして、ドラマを進める上で必要な要素として意地悪な上司が出演してくれてるのだ。
彼は本当はやりたくもないのに、こんな意地悪な上司の役をやってくれて、意地悪な言葉をかけてくれている。
「それによって、私自身のメンタルや対応力を鍛えてくれているのだ。ありがたいな。おそらく、今のこの経験が後々の自分の晴れ舞台に必要なんだろうな。だって、ドラマに意味のないシーンは描かれない。ということは、これは後々につながる伏線なのだ」と。
こう思うことで、今回の件も自分の中で前向きに捉えることができる。
「できない言い訳」なのか「建設的な意見」なのか、
それはどっちが100%正しいとは言えない。どっちからの視点でみるか、どの立場でみるかによっても変わってくるのだ。
大事なのは、その後に起こった現象(今回は上司の叱責)を自分自身でどう解釈するか。
相手を変えることはできない、変えられることができるのは自分だけ。
どこかで聞いたその言葉を肝に銘じて、今日も部下力を磨く。