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「どう思われるんだろう」から抜け出す

絵本作家のわたなべはるかです。

大学生の頃、友達に「好きになったら、相手のことをもっと知りたいし、自分のことももっと知って欲しいと思わない?」と聞かれたことがありました。正直私はピンときませんでした。相手のことを知りたいという気持ちはわかるけれど、自分を知って欲しいとは考えたことがなかったからです。自分を知って欲しいと思えることは、弱いところがなく自信があるからなんだと当時の私は思っていました。だから友達は自信があってすごいなぁと少し羨ましく見ていました。

前の記事で弱みに関して書いたのですが、私は約束をするのがとても苦手です。言葉にすればとても簡単で、些細なことに思われるというのは承知しているのですが、自分にとっては昔からの悩みです。なので、これを実際の生活で会う人や知人に言うことはほとんどありません。仲の良い友人には大人になってから言えるようになりました。

楽しみではない予定ならともかく、会いたい人にも会いたいと言えなかったり、約束を断ってしまうことは誤解されることもあり、相手にも申し訳ない気持ちでいっぱいになって落ち込みます。

そういう時に今まではずっと、理由をつけてはぐらかしていましたが、隠す事にも疲れたなと最近ふと思いました。

その場を嘘でしのいでも、根本的には何も変わらない。それを嫌と言うほど感じてきたからです。じゃあなぜ今まで言えなかったのかと考えてみると、

こんな話をしたら、相手からどう思われるんだろう。

この恐怖がずっと私のなかにあったからです。でも、これは少し違うんじゃないかなと思うようになりました。

私が自分の弱い部分を話すという『伝える』行為と、相手がそれを聞いてどう『思う』かは全くの別問題です。私ができる事は、嘘をつかないで話すこと。これだけです。相手がどう思うかは私が変えられることではないし、どう思うかは相手にも自由があります。もしかしたら面倒だなと思うかもしれないし、疎遠になってしまうこともあるかもしれません。でもそれは相手はもちろん悪くないですし、伝えたことを後悔したり、自分の事を責める必要も無いと思います。嘘をつかないで、本当のことを伝えることができた。その行動を起こすことができた、という事こそが私にとって重要なことであって、受け入れてもらえるかは今は重要ではないことだと思おうと決めました。

人と向き合うってどういうことなんだろうとここ数年考えることが多かったのですが、自分の弱さを認めることや受け入れる事。自分と向き合うことをしないで相手と向き合うなんて無理だなと気づきました。

大学の時、友達が言った「自分のことを知ってもらいたい」という意味が、良いところだけじゃなくて弱さも含めた自分を知ってもらいたいということだったんだなと、ずいぶん時間がたってしまいましたがわかったような気がします。



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