憧れていた母校・大学を愛せなくて苦しかったのだと気づいたnote
このnoteを読んで、私自身の学生生活も苦しかったんだな~。ってことを思いました。
部活をやっているのが当たり前の大学で、今振り返ると高校の延長線上にあるような雰囲気だったなぁと。
いっつも自信がなくて、目が悪いこともあってうつむきがちで歩いていて、他の子たちのように誰とでもうまく喋ったり笑ったりができなかった。
1年間の寮生活は、HSP気質もある私にとってはしんどすぎた時間でもあったのかもしれないなぁって、10年以上経った今、気がついた。
当時は中学生の頃から憧れていたスポーツ科学を学べる大学に入れて、メディアで見ていたようなサッカー選手がいて、高校3年間英語科でほぼ女子校のような生活をしていた私は、テンションが高かったのだと思う。
だから、やれたのだと思う。
(実家にしょっちゅう帰っていると誰かに言われた記憶もあるけれど。)
今でも校歌や校訓は覚えているけれど、私はあの大学になじめなかった人間だと感じる時がある。
みんな仲間のような雰囲気だった。
でも、その大学にいる人と違う行動や考えを持ったらアウトのような感じがして。
「私、本当は違うんだ。」ってことが言えない空気のように感じてた。
今の夫とは大学1年の終わりに出会い、付き合い始め、その後結婚したけれど、彼は私とは違う大学・大学院へ通っていた。
彼の通っていた大学は、自由な校風のように感じた。
私が通っていた大学と真逆のような雰囲気さえ感じた。
それは大学のキャンパスを訪れた時も、彼の友人に会った時も。
みんな違うのが当たり前。
その前提のもとに、「自分は何ができるか・何をしたいのか。」って、彼の学生時代の友人たちに会うたびに問いかけられている気がした。
そして私は、こっちの方が居心地が良かった。
1人1人が、一人一人に対して違う言葉をかけ、質問をし、その人の答えを聞く。
私が通っていた大学は暗黙の了解的に「みんな一緒でしょ~!」という雰囲気があったように感じていたのかもしれない。
でもそれでもやっぱり、私は母校の大学が好きだ。
大学卒業後、学内では特に目立った成績を残していなかったにもかかわらず、部活にも入っていなかったにもかかわらず、採用してもらえた。
大学の名前が私の仕事の肩書に入るなんて夢にも思わなかったし、大学で勤務したいという私の夢に直結する場所が母校であることは素直に嬉しかった。
私が完全に闇へと落ちたのは、大学3年。
今振り返ると、ただ甘ったれていただけなのかもしれなかったとも思うけれど、当時は本当につらかった。
私は本気で研究したかった。
いろんなことを学びたかった。
でも、人についていけなかったのが本当のところかな。
そこから私はさらに内にこもるようになった気がする。
大学に居場所なんかなくて、教室に入っていったって喋れる友人は数人。
あの大学でこの状況がどれだけ苦痛だったことか。
そして私は、当時付き合っていた夫のおかげで大学を卒業できた。
彼がいなかったら、私は大学を卒業できていなかったかもしれない。いや、できていなかった。
そう、私は落ちこぼれでへなちょこなのだ。
1人では生きていけない、力のない、責任感のない、弱っちいやつなのだ。
職員として勤務した大学は、学生時代とは違って見えた。
私が通っていたキャンパスとは違うところで働いていたけれど、学生は同じような雰囲気を感じた。
「やっぱり私の母校の大学の学生は素朴で可愛らしい子が本当に多いな~」といつも感じていた。
一生懸命で真面目で素直な人種が多い大学。
それは間違いないと思う。
そして、私もその雰囲気や素質があったし、今もあると感じているけれど、その母校の持つオーラに負けてしまっていたのかもな。
そうだ、私も憧れていた母校が愛せなくて苦しかったのだ。
33歳になった今でも、「あの時もっと大学生活楽しめていたらな~」なんて、正直思う。
でも、私の居場所は学内ではなく学外にあった。
そのおかげで学生時代からいろんな人と出会い、様々な体験ができたのだとも思う。
人生一度きり。
振り返ると「こうしてたら良かったかな~」なんて思うことはいくらでもある。
でも、その時私が下した決断を大切にしたいとも思う。
なぜならば、この世にたった一人しかいない私が選んだ行動・結果が、今の私へと繋がっているのだから。