あきらめる覚悟と「人生の最後」の為の日常的習慣
おはようございますヾ(*´∀`*)ノ
無事引っ越し完了。
心配していたWi-Fiは、多少遅くなったものの、私の使い方では問題なさそうでホッとしています。
ブログ、再開ですヾ(*´∀`*)ノ
今回は、以前にも書いた内容ですが、フォーカスする部分を未来側の視点にしました。
「7つの習慣」の「終わりを思い描くことから始める」に近いかと。
2011年にも大きな地震と原発事故など大災害がありましたよね。
あれで、様々なことを学びました。
怒りでブチ切れて…絶望した後に、色んなことに吹っ切れて今に至る、って感じです。
あの頃、不安な日々を過ごしました。
「大切な人たちを失うのではないか?」
と思い脅えました。
このわたしが(笑) 心労で、このままではシぬかもね、という所まで痩せました。
恐ろしくて押しつぶされそうになっていました。
あれが、人生最大の
「自分ではどうにも出来ない事への不安」
だったと思います。
そして地震後、少し生活が落ち着いてから「お話し会」に行きました。
人を助けるためにずっと活動してきた人の「お話し会」でした。
私は、その人が一部の人から非難されているのを知っていました。
人助けの活動も「偽善だ」なんだと非難する人は居る。
それでも続けている、その人に直接あって話しをしてみたかったのです。
どこからそんなエネルギーが出てくるのか?疑問がいっぱいだったのです。
最後に「質問タイム」があり、参加者がその方に聞きました
「助けたいと思っても、相手にその気がないときはどうすればいいのですか?出来ることはありませんか?」
と
どうやら、親御さんの話しをされているようでした。
その時の主催者さんの返答は、生涯忘れません。
「われわれには『助かる気がない人たち』を助ける力はない。
残念だけど、それは受け入れるしかない。
でも、その人たちに「感謝と愛」は、伝えることが出来る。
話す機会があるたびに、これまでの感謝と愛を伝えた方が良い。
『災害や他の何かにその機会を奪われる”その日”』
まで。
いつか ”その日” はやってくるから」
と。。。
自分ではどうすることも出来ないことは諦める覚悟
でも、
愛と感謝を伝えること…出来ることを見つける事。
こちらの話しを聞いてくれなくても
「何かを伝える」ことは出来る
今の自分に出来ることを見つけること
今、出来ることがあるなら、行動すること
自分か、または大切な誰かの「最後」を想定した時に
「いつでも出来る」
と思っている事は、今やること。
スティーブン R コヴィーの
「7つの習慣」の中の
「終わりを思い描くことから始める」
に通じています。
精神性の高い人のいうことは、どの世界のどの分野の人も、結構同じことを言っているものです。
最後を思い描くことで「自分を大切にするための原則」が見えてきます。
ぶっちゃけ、人生の最後を想定したら、私の場合は大抵のモヤモヤは吹っ切れます。
そんな事に時間を使っているのが勿体ない、と思えます。
今日が最後とても
「我が人生に悔いなし」
と思うために毎日を過ごしたいのです。