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「察してよ!」 は虚しい願い。一生グチるかこうするか?
見たら分かるでしょ!
察してよ!
思うこと、ありますよね。
特に子育て中、夫にそう思いました。
結論から言いますと
相手さんは、目の前で見てても、分からない
「見たら分かるでしょうに」
と思う相手は、もうね、
「見ても分からない人である」
と受け入れるしかないんです。
まあそもそも「人はテレパシーを持ってない」のですが
例えば、
私が自分は食べずに小さな子ども達に食べさせてる
その目の前で、夫は自分だけ悠々とご飯を食べ終わり
暇そうにしていても
「僕がやろうか?」
と言わない
そんな夫に
「見たら分かるやろ」
と、察してくれるのを期待するのは時間の無駄です。
言います言います!言いたい事を言葉にします。
「わたしが食べ終わるまで、子どもを見てて」
と。
まあそれで、夫のへたっぴな抱き方に
子どもが不満を覚えて泣き出したりして
それで夫は
「泣き出した」
といってきますけど、こちらこそ、
「見たら分かる」
ってもんです
そうだね~~~~、と最後まで食べる。
相手が下手でも、自分のように出来なくても、それは相手の問題なんで
やらせておきましょう
いつか察してくれるかも~、と期待すると一生を無駄にします。
何をしてほしいのかしてほしくないのか、口に出しましょう。
言っても色々分かってくれなかった夫には
「一生これ言い続けたるからな(# ゚Д゚)」
という恨みがありますが
それは向こうからしたら、お互い様、なんでしょう
結局、「察してよ」と願い続けても相手には伝わらず
「察してくれない」とグチり続けても事態は変わらない。
自分が変わるしかないんです。
意識を変える→対処方法を変える(`・ω・´)b