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#180「チャンスが来るのを気長に待つということ」

昨夜、久しぶりに「論語と算盤」の現代語訳解説書を読んで、深く共感した言葉がある。それは、「チャンスが来るのを気長に待つということ」だ。

人が世の中を渡っていくためには、成り行きを広く眺めつつ、気長にチャンスが来るのを待つということも、決して忘れてはならない心である。

なぜこの言葉が今の私に響いたのか。たくさんの金言が溢れているこの書物の中で、なぜ一際輝いて見えたのか。それは、今の私の境遇や今後の進路を考える上での新しい視座に思えたからだ。

来年度から今の環境から変化を求めようとしている自分がいる。今のままではいけないという焦燥感みたいなものがあって、それが今の私を動かしている。今の私にとって、留まること、変化を求めないことは甘えのように感じていた。だからこそこの渋沢の言葉は、今の私に新たな価値観や考え方を与えてくれたのだろう。焦ることなく、今の環境のなかで気長にチャンスを待つことも考えた方が良い気がしてきた。チャンスは、もしかしたら今の会社とともに訪れるかもしれないし、もしかしたら今の会社での働きぶりが評価されて新しいご縁に結びつくかもしれない。どうなるかはわからないけれども、時流を見ながらチャンスを伺うのもまた、人生の選択肢としてはありなのだろう。

一方で忘れてはならないのは、この言葉とセットで争いがなければ成長はないということが語られていること。

いやしくも人として生まれ、特に青年時代において絶対に争いを避けようとするような卑屈の根性しかないと、到底進歩したり成長したりする見込みはない。また社会を進歩させていくためにも、争いが必要なことは言うまでもないだろう。

己の正義を持って戦うところは戦わなければ、成長はない。争いを避けていては、成長はできない。だけど、チャンスが来るのを気長に待つことも、世の中を渡っていくためには必要不可欠なのだと、渋沢は名言している。

争うことと、気長に待つこと。相対する二つの真理をどうやって使い分けていくのか。それがその人の生き方に反映されていく、要は生き様として表れるのである。

自らの進退を考える上で、今の環境や時流はよく観察した方が良いのは間違いないだろう。感情だけで決断してしまえば、かえって良くない選択をしてしまう可能性もある。未来の姿や今の環境を良く観察し、私が人生でやりたいことを考え洗い出したうえて、今後の決断をしていくべきだ。感情的に決断しようとしていた私にとっては、目から鱗の瞬間だった。

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