誰の目にもふれない僕だけのDocumentary film
人にはそれぞれ、その人のストーリーがあり、その人だけの人生がある。
それはまるで、映画やドラマ、アニメの主人公そのものである。
しかし、私たちは時に自分自身が回しているフィルムの存在を忘れてしまうことがある。
ある人が輝いて見えたり、時に周りと自分を比べて落ち込んだり
またあるときは、物事が上手くいかなかったり、失敗したり、誰かに怒られたり、
そんな日々の中で、私たちは自分自身のフィルムから目を背けようとしてしまう
それはなぜなのか
なぜ、私たちは自分が主人公の作品づくりを時に放棄しようとしてしまうのか
それは、誰の目にもふれないから
孤独で、見てくれる人は自分しかいないからではないか
そして、その自分自身を写したフィルムは、きれいに加工したり、テイク2として取り直したり、不要な部分を編集でカットすることが出来ない
さらに、映画や小説のように、困難の先に必ず光が当たるとも限らない
もしかしたら、ずっと暗闇を写し続けるかもしれない
とても生々しい作品で、死ぬまでその作品は続いていく
でも一方で、この作品には決まったシナリオはない
決まった形もないし
決まった通りの演出もない
言い換えれば、自由なのだ
時に生々しく、心えぐるような演出があるし、それを回す私たちの心をくまなく映し続ける
ある時は悲しみが 多くのものを奪い去っても 次のシーンを笑って迎えるための 演出だって思えばいい *
さらに、この作品に嘘はない
つまり、ノンフィクション作品なのだ
だから、この作品と向き合い続けることで
自分を知ることも出来るし
自分がこれからどうしたいのかも見えてくるだろう
だから私たちは、このドキュメンタリー作品の存在を忘れてはいけないし
見続ける必要がある
もう一度言うが、それは孤独である
でも、その作品は自分が独占できる
そして、自由な背景を書き足すことも
周りの悪役や味方を増やすことも
彩りやスパイスを加えていくことも自由である
だから考えてみてほしい
この作品は、あなたが創っていく
あなたが、私が主体で創ることの出来る
ドキュメンタリー作品なのだと
それは、どんな名画や名作よりも
価値あるものであると
誰の目にも触れない ドキュメンタリーフィルムを 今日も独り 回し続ける 君の笑顔を繋ぎながら きっと隠しきれない 僕の心を映すだろう 君が笑うと 泣きそうな僕を *
そう思えば、毎日がいとおしく感じるのだと思う
そして、それは終わりを意識しつつも
終わりなき旅なのかもしれない
*Mr.Children Documentary film 作詞 桜井和寿 より歌詞引用
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