空白の必要性
2022.8.17 Wed
子供の頃の自分と社会人になった今の自分を比べて見た時に、決定的に違うと感じることが最近ある。それは、空白の有無である。
子供の頃は心にも脳にも空白がたくさんあったように今は感じる。なぜなら、社会人になった今は、あまりにも制約が多かったり、現実を突きつけっれ、考えるべき事柄が増えたから。
学校に行き、友達と授業を受け、雑談をし、遊び、家に帰る。宿題や部活があるにせよ、守られた環境の中で、自由に生活することができていたように感じる。
それが、柔軟な思考や、足取りの軽さにつながっていたのではないだろうか。
では、社会人になった今の自分はどうか。
毎日、通勤して様々な仕事をこなす。そしてその仕事というのは、学校の宿題やテストと違って、一人で完結することではなく、複数の他人が絡んでいる。だから、自分のペースで進まないことがほとんどである。
制約も多い。社会や会社内でのルールや体裁を繕うなど、素の自分ではない偽りの自分を皆が演じている。そうして社会は成り立っているのだ。
そうやって知らず知らずのうちに、眼の前の仕事にばかりに目を向け、視野が狭くなり、余裕がなくなる。締切や期日、上司や人間関係の問題でどんどん疲弊していってしまう。すると、心や脳の空白はなくなっているのだ。
なぜ、心や脳に空白が必要なのか。
それは、空白こそ、新たなアイデアやひらめきを生むからである。
もっと言えば、空白があるからこそ、人はなにかに夢中になったり、全力になれたりするのだ。
心にゆとりがあることで、冷静に物事を考え対処することができ、結果的にモチベーションが上がる。
では、空白がある人とない人の違いはなんなのか。
私は、自分でやろうとする気になるかならないかの違いだと思っている。
空白があることで、自分の内面からやってみようという気持ちになることができ、主体的にモチベーションが上がるのではないだろうか。
逆に、空白がないと、そもそも心に余裕がないため、人はやらされていると感じてしまうのだと思う。
私もお盆休み前までは心に空白などなかった。
仕事をやらされているとしか思えなかったし、自分からやりたいと思える心の余裕がなかった。
そんなときは、無理せずに休んだ方がいいだろう。
私は長期休みを利用して、友達と旅行に行ってきた。
そうして今、心に余裕が戻ってきた。
だが、油断はできない。いつまた余裕がなくなるかはわからない。
心は簡単に折れてしまう。だからこそ、無理せずに、常に心に空白を持って過ごしていきたい。
そのためにできることは、行動にゆとりをもつこと。
行動にゆとりを持つためには、自分自身との対話を続けていくこと。
それが大事になるだろう。