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#98「今を生きる。」

連日発生している大地震は、今日も多くの人の携帯に不気味なアラーム音を響かせた。あの音は何回聞いてもゾクッとするし、急に大きな音でなるため心臓にも悪い。帰宅時間帯だったこともあり、私も家への帰宅にいつも以上に時間がかかった。最寄駅に到着した時、隣の路線はまだ運転見合わせによって長蛇の列ができているのを見ると、無事電車に乗って最寄駅まで帰ったことがありがたいことだと感じた。

振り返れば今年の始まりには能登地震が発生し、波乱の幕開けだった。先日は宮崎、今日は神奈川と発生した地震を学生時代に習ったプレートに当てはめてみると、見事に全てがプレートの狭間で発生している。この3つの地点を結ぶと、南海トラフのラインが重なっていて、いよいよ本当に更なる大地震がやってくるんだなと私なりに実感した。モバイルバッテリー含め、もしもの時の備えの見直しをする3連休としたい。

私が地震というものを体感したのは小学5年生の頃。2011年3月の東日本大震災だった。当時は5限目の授業中で、ちょうどこれから席替えをしようというタイミングだった。「先生、地震」ある1人のクラスメイトが教室全体に聞こえる声で叫ぶと、その瞬間から今まで感じたことのない揺れを感じた。机の下に潜りながら、「これが地震というものなのか」と思いながら、教室中に響く先生の呼びかけとクラスメイトの叫び声が聞こえた。揺れが収まるやすぐに、廊下に出てグラウンドへ向かう。避難訓練かと思ったりもしたけれど、これは本当の災害だった。それを受け入れるのには時間がかかっていて、その当時の私はふわふわした気持ちでいた。しかし、その気持ちは徐々になくなり、現実を痛感させられることになる。

グラウンドに出ると校門のコンクリートが割れている。少しすると親が迎えにきて家まで帰宅していると、通学路の信号が消えている。昼まで気づかなかったが、停電していたことをここで知る。家に近くの公園には大きの住人がいて、安否確認をし合っている。家に帰ると水槽の水が漏れていて、玄関がびしょびしょになっている。停電その後も続き、ガスも水道も止まったままで、夕方を迎える。ガスコンロで非常食のおじやを食べながら、当時母親が持っていた携帯(ガラケー)の画面越しに流れるニュースを見ると、そこには津波の映像が流れていた。こういったひとつひとつの出来事を通して、私は目の前で体験したことが大変なことだったことをようやく認識することができた。

大きな地震や大災害はいつ起こるかは分からない。ただそこに怯えながら生きているわけにもいかない。怯えていてもそうでなくても、私の人生は続くし、限られた時間は刻一刻と過ぎていく。ネガティブなニュースが続くけれども、だからこそ今この瞬間を全力で楽しみたいし、なくひとつ無駄にしないで生きていきたい。

大災害でなかったとしても、終わりはある日突然訪れるもの。それは私自身かもしれないし、私の周りの大切な人かもしれない。改めて、日々の日常に感謝し、今を生きていこう。

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