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まさかの吐血で再び病院へ|扁桃摘出手術日記⑤
退院一日目(術後七日目)
朝から在宅勤務。集中しずらいながらもなんとか仕事を終えて、白菜のすき焼き風うどんを作る。ここ最近まともに食べれていなかったこともあって、痛みはあれどゆっくり完食した。
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『ラブトランジット2』を観たり夫と話したりしてから、重い腰を上げてシャワーを浴びることに。しかしここで事件発生。シャワーを浴びた瞬間に口から生温かいものが上がってきて吐き出すと、真っ赤な血がついていた。恐れていた術後出血が始まってしまったようだ。すぐに風呂場から出て夫を呼ぶも、話せないからジェスチャーで伝える。その間も血は流れ続けるので着替えることも話すこともできず、ただ洗面所で血を流し続けていた。夫も吐血する私をみて酷く慌てており、「どうする?病院に電話する?」と聞いてくる。もちろんこちらは話せないから、彼に自分で決めて欲しかった。
夫がその後自己判断で電話を掛けてくれるも、伝達事項が多いらしく戸惑っていた。その間、私は妙に冷静な気持ちで血を吐き続けていた。不思議と痛みや気持ち悪さはなかった。5分ほど経ってようやく血が収まり始め、タクシーで救急外来へ行く準備をする。やばいことになったと身体が震え始め、涙が出てくる。
到着したタクシーに乗り込むと、状況を察した運転手さんが一番早いルートで病院に向かってくれた。救急外来に初めて来たが、普通にベンチで待たされるとは思わなかった。トータル2時間は待ったかと思う。その間、今後どうするべきかを必死に考えていた。もし入院にならなかった場合は、すぐに車に乗れて常に人が居る環境で安静に過ごすべきで、それは実家だと思った。もう夜21時を過ぎていたし、実家に早く連絡するならしておいた方がいいかもと。でも夫は「とりあえず診察が終わってから」というスタンスで、意見が食い違っていた。痛みや不安が段々怒りに変わってきて、気付いたら夫に「ピンチの時はもう少ししっかりして、頼らせてほしい。全部私が決めてるじゃん」「PCでゆっくりLINE打つのが好きなのはわかるけど、入院中も早く返事をしてほしかった」と不満をぶつけてしまった。夫はひたすら謝りながら俯いている。
奇しくも明日は結婚記念日だった。「こんなんで結婚一年って面白いね」と言うと、「僕はずっと楽しかったよ。それに前にしか進んでないと思ってる」と言われた。思わず泣いてしまった。待合室でする話ではなかった。
ようやく耳鼻咽喉科の外来に通されると、夜なのにいつもの先生が対応してくれた。血の跡が残っていて、出血リスクのある箇所がいくつかあると言われた。とりあえず今日は止血剤をもらって帰って、翌朝再び受診することになった。
両親に車で迎えに来てもらい、そのまま彼は仕事があるのてま自宅へ。私は実家で療養することに。家に着くと兄も心配してソワソワしていた。実家の犬にも癒される。
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吐血したばかりなのに、母と二人きりになった瞬間、色々お喋りしてしまった。今日夫に怒りをぶつけてしまったことを話すと、「多分あなたも体調が悪くて我慢の限界だったんだよ。でもあんなに優しい旦那さんはいないよ」と慰めてくれた。母も親戚の近況などを教えてくれて、とある親戚が別居していることを知った。人と生きるって難しいなと思いながら1:30に就寝。
退院二日目(術後八日目)
5:30に痛みで目が覚める。犬がそばに飛び乗ってくれて慰めてくれた。4時間しか眠れていないけど、眠気はない。9:00の診察に合わせて準備をし、両親と一緒に家を出る。こういう時自営業の親で有り難かったなと思うし、父に怒りを抱いてばかりだったのに結局お世話になっている自分を情けなく思った。
病院に着くと時間前からどんどん診察を始めてくれて、すぐ自分の番になった。耳鼻咽喉科で一番偉い先生が診てくれることになる。口内を何度もつつかれて逃げ出したくなる。「傷口焼くから麻酔しようか」と言われ、絶望。ガスの麻酔を吸ってみるも、気道が塞がる感じがしてナースコール。色んな人に心配されて中断。焼くのを逃れられたかと思いきや、次は「試しに焼いてみて、痛かったら中断しよう」と言われた。夫の名前を脳内で唱えながらハンダゴテみたいな機械でジュッと焼かれる。その瞬間痛みが走り、看護婦さんの腕を押して中断してもらった。先生には「痛い思いをして焼くことはないから、やめにしようか。」と言われた。子供みたいで情けなく、謝って診察室を出る。でも再入院にならなくて良かった。
病院後、家族でパン屋さんに寄ることに。食べれないのでただ眺めていたが、高校生の時よく家族とパン屋さんに来たなと思い出した。帰宅して久しぶりの食事。小さな食パンとコーンスープ、卵マヨ。痛みを感じてはいるものの半分くらいなんとか食べれたし、食べている時に人が居る安心感があった。
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昼頃、夫に連絡して状況を伝えたら、入院にならなかったことを安心してくれた。
午後ゆっくり休養していると、母がとあるライフスタイル誌を持ってきて「誰にも言ってなかったけど、お母さんこの雑誌に自分の投稿が載ったの」と見せてくれた。かなり長文で掲載されていたのもすごいし、母の書く文章ってこんな感じなんだと新鮮に思った。同雑誌のポッドキャストにも採用されたらしく、「すごい!」と一緒に喜んだ。さらに私が気になっていたドラマ『Shrink』も観ているらしく、似ていないと思っていた母と好きなものが似ていることに気付けた。
昨日シャワー時に吐血したこともあり、今日は病院が開いている明るいうちに浴びることにした。するとやはり温度を下げても口から血が出た。でもほんの少しで済んだので、さっと浴びてクーラーのきいた部屋で暫く休んだ。
夜ご飯は母がリゾットとかぼちゃスープを作ってくれた。体調悪い時、自分ではきっとレトルトになってしまうからありがたい。途中痛みが激しく出て、1/3くらいしか食べれなかったけど美味しかった。
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