金がないとモテないって言ってる奴らは、金があったところでモテてるのはお前じゃなくて金だってことに気づいているのか。恋愛のほとんどは承認欲求ゲーム 制服少女たちのその後
身体性から抽象へのシフトがあったと。つまり、女子高生、とか、素人、とか、そういう記号的な要素に対して男の性欲が反応するようになり、女性の表情であるとか体温であるとか、そういう取り替えられない身体性の部分、抽象的な記号に対しての具体的で物理的な部分に対しての関心が薄れたと。あー、そうかも。
ああだから、マキマが、こういうことはお互いを知った方がもっといいんだよ、って言ってたのはやっぱそうなんだよな。入れ替え可能な相手である限り、それは2人が勝手に自分でしてるのと変わらない。そうじゃなくて、この相手は自分にとってかけがえがないんだってことを知る必要がある。そしてその唯一性ってのは記憶と、もう一つ、身体性によって示される。であるから、相手がどうなってるのかってのを身体的に、物理的に知るってのは、相手をかけがえがない人間だと思うこと、相手が入れ替えられないってことであり、それはまあ確かに正しい方向性だよな。入れ替え可能性に対抗するための記憶と身体性と承認。
読む本が簡単だと、読解よりそこからの発想に頭のリソースを使えるので、書くことが増える。
買春するかどうかは個人の判断の問題なので好きに決めればいい。だからヨーロッパの国は買春自体は別に問題ではない、ってか違法ではない。国連もそういう認識でいる。しかし、無理やり買春させられたりってのはやばいので、だから売春宿とか買春の斡旋は基本的に法律で禁止されている。日本はなんで自由化しないんだろうな。個人の意思に基づく部分を。ただ、法で可能にすることと、じゃあ実際その行いが正しいのかっていうのは別の問題になる。というか、ケースバイケースになるようだ。
物格化の対義語は人格化。
性と愛は別のものらしい。そして最終的にその二つが重なるところに極致があるらしい。
この人の専門は何だろう。宮台に興味があったから社会学にきたが、また移るかもなそろそろ。
セックスに愛がない、そして技能もなければ作業でしかなくなる。まあそうかもね。
身体性からどんどん遠ざかってるよな。それは、顔が可愛いとか、こんなすごいことをやるとかそういうことじゃないんじゃないかなあ。相対的な優劣ってよりも、絶対的な実存じゃないか。他の人と比べての価値ではなくて、この人の細かいところまで全て、っていうのが大事じゃないかなと。
もうしょうがないので、合理を突き詰めて、あるいは経由して利他にいくってのが基本的なパスになる。それでいい。
金がないとモテないって言ってる奴らは、金があったところでモテてるのはお前じゃなくて金だってことに気づいているのかいないのか。金がなくなったら逃げられるけどそれでいいんか?金があるから愛されるってのは、お前じゃなくてお前が持ってる金が愛されてるだけだがそれでいいんか?そして、金があるから愛してくれって、愛してくれってことばっか言ってるか、お前が相手を愛するって気概はあるんか。金なんかなくても、相手を愛して、それを以て愛されて、そういう関係性がいいと思わないのか。うん、なんか一定反省した。金がないとモテないって思ってた俺は、金があったところでモテてるのは俺じゃなくて俺の手元にある金って当たり前のことに気づいてなかった。円光にハマるイってえおっさんと同じだな。金じゃなくて、愛する技術を学べよ。幸せにすることで近くにいたいって思ってもらえることを目指せよ。
愛も性もスキルなので、経験と訓練がなければ一生下手なまま。
愛する能力がない奴が愛されることはない。だが、愛すること以外に愛される方法はない。金があろうが顔が良かろうが、自分が愛されることとは違う。本質にちゃんと向き合っていかないと。
愛するってのは、自分と相手の人生に、それぞれ踏み込んでいくことだと。というか、踏み込んでいいのかってのを考えて止まったり引き返したりしながらそれでも相手の人生を自分の人生に巻き込ませるとか逆とか、そういうもんだと。
今の恋愛のほとんどは、恋愛って名前の承認欲求ゲームであって、可愛いって言われたとか彼女がいるとか高いものを買ってもらえるような女なんだとかエストニア人のセフレがいるとか、そんなことはどうでもいいんだよハゲ。俺はずっと俺のことしか見てねえな。それは愛と遠いよ。
愛することから俺は始めないといけない。愛するって何?上野の話もあったけどそれよりは、過剰に与え、そして、踏み込めるように開けとくことかなと。ああそうか、内発性で踏み込んでくってことか。
SNSのレベルのコミュニケーションしかなくて、自宅で死んでも腐るまで誰も見つけてくれないってエグいけどまあ俺もそうだよな。うーん。SNSのレベルでそれかあ。友達とかって、うーん。
ネット上にあるものはパターンに執着するので飽きる。が、リアルにあるものがパターンじゃないから素晴らしいかっていうとそうでもなくて、凡庸である。しかし、凡庸なものを素晴らしくかけがえがないと感じる感情が愛である。ああだからその意味でやっぱ、感動するものは自分で作るしかないんだ。人に与えられるわけでも、その辺に転がってるわけでもない。
真理は結局シンプルであると。