おけけパワー中島について、あるいはクソデカ感情が羨ましいという話
こんにちは。宮本です。
ちょっとしたミームになりましたよね、おけけパワー中島さん。
おけけパワー中島が物議を醸す理由
彼女が陽キャのいい奴だからです。
陰キャオタクはみんな(クソデカ主語)陽キャに並々ならぬ・異常なまでの・興味関心恨み辛み妬み嫉みを覚えるものだからです。
……これではあまりに雑なのでもう少し書くと、彼女が各漫画の主人公たちよりも先に綾城さんと出会っている、いわば憧れのヒロイン・王子様の幼馴染のポジションだからですね。
憧れの人物の幼馴染で陽キャのいい奴、勝てる気がしませんね。
陰キャオタク自認の人間たちの劣等感を刺激しまくる人物なわけですね、おけけパワー中島さん。
綾城さんもいいですよねえ、「文体と容姿と振る舞いが完全一致のカリスマ」みたいな人たまにいらっしゃいますよね。あれはあこがれの人になるわそりゃあ、という感じです。
お前のクソデカ感情が羨ましいという話
話は「憧れのカリスマ作家綾城さん」でも「陽キャ幼馴染おけけパワー中島さん」でもなく、各漫画の主人公である「七瀬」と「友川」に移ります。
ところでみなさん、各漫画の主人公の名前覚えてました? 私、全然覚えてなくて今この記事書くために調べてました。
各漫画とも流れはほぼ同じで「カリスマ作家綾城さんを発見⇒綾城さんに心酔し神扱い⇒おけけパワー中島⇒クソデカ感情⇒創作⇒思わぬヒット⇒綾城さんに認知される」という構成になっています。
いや何しれっと「クソデカ感情⇒創作⇒思わぬヒット」してんねん。
もっと言えば「クソデカ感情⇒創作」とかそもそも「クソデカ感情」とかを何故そんなさも当たり前のことのように描写しとんねん。
一作目の七瀬さんとかクソデカ感情⇒七万字の長編とか生産してるわけじゃん。なんだその生産性は。(二次創作で七万字というのは結構クソデカボリュームの部類だと思います)
クソデカ感情とは
この漫画たちについて、ツイッターでは主に主人公⇒中島さん・綾城さんへの心情描写に「クソデカ感情」という表現が使われています。それに倣って自分もしれっと構成にクソデカ感情という言葉を入れましたが、原作にはそのような言葉は出現しません。
そもそもクソデカ感情とは。
多分、感情の持ち主である自分自身から見てもクソデカイ=全容が把握できないとか、制御できないような感情なんだと思います。
各漫画を見た感じ、それは多分古い言葉で嫉妬とか悔しさとかそういう風に表現されていたものだと思うんですが、感情の持ち主が「これは嫉妬だ」「わあ、悔しい」と言語化できない状態=自分で何も制御できていない状態であるということを表すための発明ですよね。この「クソデカ感情」という言葉は。
そんなに日常的にカジュアルに自分で制御できない感情に振り回されてて疲れないのか君たちは。あまつさえそれをきっかけにはちゃめちゃに創作活動に邁進するってなんなんだ君たちは。なんなんだその感受性豊かさと元気有り余ってる感じは。
私は、綾城さんより、おけけパワー中島より、誰よりも主人公たちが羨ましい。
オタクの隙あらば自分語りのターン
そもそも私は文章を書くのはそんなに好きでもなければ得意でもない。他のことに比べれば多少苦ではないというだけで。
それに私はそんな風に悔しさや妬みから何かを成し遂げるなんてやったことがない。格闘技をやっていた頃は「毎回負けて悔しくないのか!」と怒鳴られていたけれど、その怒鳴り声が怖かったことと無理をして怪我をしたら痛そう・嫌だ・怖いのでさっさと安全に受け身を取って負けることしか考えてなかった気がする。
そういった具合で、悔しさとか妬ましさというのは、私に無理をさせる、怪我をさせるかもしれない感情だと思っていて、ましてやクソデカ感情なんていう自分でも認知・言語化できない感情に振り回されて向う見ずに飛び出していくなんて怖くてできない。それで何も成し遂げられなかった時が怖い。本気を出して負けた時が怖い。あまつさえ本気を出したついでに複雑骨折するかもしれない、立ち直れないほどの後遺症が残るかもしれない。
そうでなくてもクソデカ感情なんていうものは持つだけで不快である。そんなものに心に居座られたくない。
(もっとも、悔しさについては全く感じないかと言えばそうではない。私が悔しいと思うのは、自分自身で想定したパフォーマンスを自分が発揮できなかった時である)
だから私は嫉妬を久しく覚えていない。
代わりに「嫉妬の気配」をなんとなく覚えた。その気配を感じると私はにっこり笑って(オタクなので気持ち悪いニタニタ笑いになってるかもしれないが)「この作品に出会えてよかった。この作家を知れてよかった」と感想を呟く。
そして人間とも神ともつかぬ存在として再定義する。
推し、という言葉を使って。
……私の「推し」という言葉の使い方はちょっと狡猾であり、かなり不誠実で、そして不健康だと思う。
もちろん推したちは本当に好きな作家ではあるのだが、多分きっとそれだけではないんだと思う。
そこには何かしら、私の感情の引っ掛かりがあるはずなのだ。
でも、それでも立ち上がれない。どうしてもクソデカ感情で奮起することができない。お前を倒す!みたいな感情にはなれない。追いつきたい!みたいな感情もあんまりないような気がする。
それは苦しいことだし、それは孤独になることだから。
だから改めて言うけれど、例の漫画の主人公たちが羨ましい。
彼女たちは創作をする人間としては健全だ。
綾城さんに向かってクソデカ感情をコントロールしながら奮起してバリバリに創作するっていうのはさ、もうそれは綾城さんに対するラブレターじゃん。(二次創作のカルチャーとして正しいかは別)
そんで、誰かに対して七万字のラブレターを書ける人っていうのは作家になれる人なんだよ、多分。