『HAPPYEND』若者こそ社会の常識を疑っていい
昨日、気になっていた映画を観てきた。
空音央監督の『HAPPYEND』
上映している映画館が限定されているのだが、運良く近所の映画館で観ることができた。
きっかけは、『水中の哲学者たち』で私に哲学の面白さを教えてくれた、永井玲衣さんのコメントを読んだこと。
映画の宣伝文には「ありえるかもしれない未来を舞台に描く青春映画」と書いてあったが、気づけばまるで自分のことのように世界観に没入していた。
高校生活の青春の日々が蘇ってくる。
友情の儚さと、それゆえの尊さ。
こんなにドラマチックじゃなかったけれど、たった6年前に存在していた日常。
作品で描かれる高校生たちは真っ直ぐで、眩しかった。
悩みながら、ぶつかりながら、前に進もうと必死にもがいていた。
社会に対する違和感を正直に吐露し、抵抗することを諦めなかった。
世界が変わっていく中で、社会のルールや常識も変化する。
我々は否が応でも適応することを求められるが、無思考に従っていて良いのだろうか。
無関心が蔓延した世界に希望はあるのか。
いくつもの問いが生まれた。
私はこれまで、”優等生”らしく振る舞う人生を送ってきた。
その方が得すると思っていたから。
実際に親や先生、上司は褒めてくれた。
一方で、日々感じているはずの小さな違和感をないがしろにしていたように思う。
社会が敷いたレールに従っていれば、本当に幸せになれるのか。
無意識に誰かが損をするような仕組みに加担していなかったか。
政治参加はもちろん、日常生活において、これからはもっと自覚的に選択していきたい。
若者こそがより良い未来を切り拓くカギを握っていると信じている。
若者こそ社会の常識を疑っていい。
”大人”が決めたルールに縛られる必要はない。
"社会人"になるって社会に迎合することじゃない。
まだ未熟かもしれないけれど、たぶん間違ってない。
デモみたいにわかりやすい反抗じゃなくても、まずは自分らしい生き方でレジスタンスを目指す。
レジスタンスってスターウォーズみたいで何かカッコいいじゃん。
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