また住みたい街、ベルリン
海外のどこかにはいつも自分のそのときの辛い気持ちが反映されていて、全てがいい記憶ではないけど、ベルリンはとてもいい街だった。
言ったら叶う的な道理がこの世にはあると信じて、ベルリンにまた住みたいとここに記しておく。
ウィーン留学直後、レッスンを受けるためにベルリンに飛んだ。3週間強の滞在。
可愛い生徒にも恵まれ、ヴァイオリニストとしても仕事もあり、会いたい人にはいつでも会える福岡の気持ちいいぬるま湯にいたら私はなにも成長できない、むしろ甘やかされて退化した感じもする。
ここから抜け出してきちんと自分の夢を叶えるための留学を遂行しようと、ぼんやりイヤイヤと計画を進めていた。
そんな中でのベルリン。人生2回目のドイツで、特に嬉しいとも思わずそのままベルリン入りした。
私は運が良くて、この世界どこに飛んでも人に恵まれるだろう、というのは確信に近い。
縁がありデザイナーの経営するシェアハウスに滞在することになっていた。そこには私と同じ歳の日本人の女の子が住んでいて、すぐに仲良くなった。
携帯のSIM探しや現地巡り、生活において必要なことは全部彼女が手伝ってくれた。
ビール片手にベルリンの街をぶらぶら歩いて、一緒に蚤の市に行ったり古着屋に行ったり、ベルリンの文化を楽しんだ。
また、日本人の音響作家の方も住んでいてレコーディングのお手伝いもした。私の演奏がファッションショーに使われた。
あとはベルリンに留学している指揮者の卵の友人。ダリ美術館で各々世界観を楽しんだ。
この3年前(2015年)に、一人で初渡欧してドイツのデュッセルドルフに1ヶ月、留学の下見で滞在したけど、自分が考えるにとても絶望だった。デュッセルドルフまで私に会いに来てくれたベルギー人の友人に話すと、「まぁhopelessな感じなんだろうね」とのこと。日照時間が短い冬に行ったのもよくなかったと思うが、ベルリンはその数百倍楽しかったし、自分の中のヨーロッパの印象が変わった。
(ニューヨークに行った後に気づいたが、ブルックリンに似てるところがあると思う。他の人も言っていて安心した。)
2017年のウィーンでのレッスン振りだから約1年ぶりに再会した師匠からは短い滞在中に数回レッスンを受けた。私の室内楽の師匠の親友ということで紹介していただき、世界トップレベルのオケのコンサートマスターをされていて、奇跡に奇跡が重なってレッスンしてもらえることになった。
昨年のウィーンでは音大でレッスンを受けたが、今回は先生の仕事場の楽屋で。先生も自分のフィールドだからか、いきいきとレッスンしてくださったのが印象に残った。
最高のレッスンをしてもらったあとは、ベルリン滞在最終日、先生が演奏するオペラを鑑賞して最高の締めくくりだった。
ウィーンよりは広い街で、ちょっと日本ぽくもあるような雰囲気も持ち合わせているベルリン。
ウィーンから引っ越してこようとも思っていたが自分の気持ちを確認して完全帰国することを決めた流れを思い出した。
「どこにいるかよりなにをしているか」に重きをおいて人生を送りたいこと。
惰性で海外に住んでいる(ように見える)人、はどこにでもいると思う。でもそういう人たちをみて怖かった。一寸先は自分の姿かもしれない。当時、学生の身の私には期限を設けることでしか救済措置がなかった。
私はウィーンで学生として住んでいて、なにか物理的に生み出すことはできなかった(お金を得るということ)。
引き続きベルリンに住んでもこの生活が続くと思うと耐えられなかった。いくらいい師についても、いくら人に恵まれても、働いた対価がもらえる福岡での忙しい生活と真逆な生活は耐えられなかった。
ウィーンでは自分のモヤモヤに期限を決めて生活していた。だからそこにいれたんだと思う。
ただ海外への憧れで住みたいという時期は、hopelessな初ドイツ滞在で終わっていて。
いずれ、学生というポジション以外で海外に住むことができる決定的な裏付けと自分の人生に舵を切ることができる力が手に入ったら、次はここにまた住みたい、と思わせる街だった。