警戒するしないの次元を超えて
率直に言いましょう。
男ってのは、こういう生き物なんだ!
…って言う大まかなキャラ設定。
そろそろ終わりにしませんか。
男女とか関係なくその設定って迷惑じゃないですか。
某番組の切り抜きを見かけて思ったことを書きます。
【部屋に来た時点で性的な行為がOKだと思う?YES or NO】
上記のアンケートに対する男女別の回答比。
女性=NOが多い
男性=YESが多い
私は、↑この結果云々よりも、それに対する周りの反応に違和感を覚えた。
男ってそういう生き物なんだ…ってのを、女性側も意識しておかないといけない。
このような意見を目にした。
以前から思っていたことがある。
…その謎のキャラ設定、そろそろ終わりにしないか。
男ってのがそういう生き物…って言う“前提”そのものが、酷く乱暴だよな〜と思う。
女性が部屋に来たからといって、必ず性的な行為が許されると思っている男性ばかりじゃない。リラックスして映画を観たりする時間を共有することに価値を覚えている男性だっている。
逆を言うと、女性側から男性に性的な行為を積極的に求めることだってあるだろう。
男ってそう言う生き物。
それに関しては、‘昔そう言う時代があったね’…って話だと思う。
〈マッチョイズム〉だったり〈ホモソーシャル〉だったりに煽られていた時代の名残として、男性が女性に対し積極的であることを〈格好いいもの〉かのように描いてきた過去。
今現在は、どうだろうか。
繊細さや聡明さに従ってスマートに生きる男性だとか、あざとい男性だとかがSNSなどでその魅力を主張し、‘良い’と思った人が高評価を示しているケースを見かける。
もう、“男ってそう言う生き物なんだ”って言うキャラ設定、苦しくないか。
というか、そう言う生き物…ってのに該当しない男性を巻き込むのやめないか。
・男ってそう言う生き物❌
・男が異性に積極的だと格好良かった時代があった⭕️
私は、このように解釈している。
そんな時代のことを否定する気なんてない。
男性が戦争へ行って、男性がいっぱい働いてきた時代がある。
女性が精一杯支えてきた、そんな時代がある。
その時代から地続きの今だけれど、世の中が目まぐるしく成長すると共に、‘人間のキャラ設定’も変わってくるだろう。
・部屋に来たら性的な行為が許されると思っている人
・部屋に来たからといって性的な行為が許されるわけではないと思う人
・その他の人
…性別関係なく、このように分けることが適切になってくるのではないだろうか。
なので、わざわざジェンダーバイアスに絡める必要なんてない。
〈部屋に行ったからといって性的な行為が許されるわけではないが、相手のテリトリーに入ると言うことに対する警戒心を抱いておく必要がある。〉
↑色々と踏まえて、これが適当な言葉だと私は思う。
男性が性的な加害を行ったときに、〈ヒムパシー〉をもって女性へ矛先を向けてしまう人達も、性別だけにとらわれすぎていないか。
自分が加害者なのか否か…ってことを考え、否なのであればわざわざ加害者側に寄り添った思考を巡らせることもないだろう。
確かに、被害に遭いショック状態の女性が、‘これだから男は…!’なんて極端な発言に辿り着きそれを吐き捨ててしまっていたら、通常の精神状態じゃないところから発せられた突発的に大きな主語に巻き込まれてヒムパシーを拗らせてしまうのかもしれないけれど。
その場合であれば、‘男性全てだと思わないでほしい’ってところを主張するだけで足るだろう。
わざわざ、加害者を擁護する必要などない。
つまり、‘同じ性別’として寄り添う必要などないのである。
私は、‘ホモソーシャル’のノリが本当にめっちゃ悉く嫌いだ。
ホモソーシャルノリの被害者は、女性だけではない。
むしろ、男性の被害者ほど声を挙げることが困難で苦しい思いをしている人が少なくないのではと思っている。
飲みたくないお酒、のりたくないシモネタ、話したくないセクシャリティ…それを共有し合うことが、仲間()であり絆()であり男らしさ()だなんて馬鹿馬鹿しくて呆れてしまう。
なんとな〜く薄ら続いているマッチョイズムだとかホモソーシャルに、なんとな〜く薄ら迷惑被っている男性達のためにも、‘もうそう言うのやめにしない?古くない?’って言っていこう。
男女共に力を合わせて、古き良きを知り新しきを知り、順当に時代に合わせた変化を続けていこうじゃないか。
家に行くなら警戒する…だとかそんな次元じゃなくて。
そう言うのいいからって笑って言えるように、ほんの少し意識を変えていけたら素敵じゃないかなと思う。
今日は、そんな記事を書いてみました。
難しく考えちゃダメ!
自分自身と性別を一旦切り離してシンプルに考えてみよう!
ほなね!