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私たちは、贅沢なんだろうか
歌を歌わなくなったら、私はただの人だ。
たいした趣味も特技も取り柄もないし、人付き合いもうまくないから限られた数人の友達しかいない。
それだけ聞くとたいそう不幸に思えるけれど、自分のことを不幸だと思ったことはない。それなりに、というか結構幸せだと思う。
それは、世の中にたくさんの不幸が溢れていることを知っているからで、それに比べたら私の不幸なんてたかが知れている、と思うからだ。望まなければ、もうこれ以上欲しいものはない。
そう、望まなければ。
望まなければ私たちは幸せだ。
もっと友達が欲しいだとか何かをやり遂げたいだとか、違う人生を歩んでみたいだとか誰かに認められたいだとか、そういうことを望まなければ、衣食住に困らないだけで人間は幸せなはずだ。
だから私は、幸せで、虚しい。幸せだと思いながら、ずーっと虚しい。
「そんな贅沢なことを言うもんじゃない」という自戒の念が、虚しさをより大きくする。
昔、『奇跡を祈ることはもうしない』という曲の歌詞に、
「私はきっと幸せ」何度も言い聞かせ歩いてきた
という一節を書いた。
私は、私たちは、贅沢なんだろうか。
ずっと、何者かになろうとして生きてきた。
何者かになろうとして曲を作り、歌を歌った。
何者かになれば認めてもらえると思った。煩わしい手続きを踏まなくても人間関係を構築できると思った。
なんとかそれに縋って生きてきて、今、ふと足を止めて歌うことをやめたとき、私は昔以上に何者でもなかった。正真正銘ただの人になった。
何もかもが中途半端で、やれることもやりたいこともたいして思い浮かばない。
ここからまた、何かを頑張ることができるだろうか。そんな不安とともに過ごしている。
結婚をして子どもを産んで、私はきっと幸せ。
それは本心で、嘘ではない。
それでもこうして文章を書いたり、歌を歌い続けるのは、何者でもない自分への抵抗。
そうすることでなんとかバランスを保って生きている。
どうしようもない気持ちに襲われたら、
私たちは時々、自分の不幸を認めてもいい。
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