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『エゴイスト』を読んで。

こちらは『エゴイスト』(高山真)の感想文です。

はじめに

この感想文はネタバレを含んでいます。これから読む予定がある方はご注意ください。また、こちらはとても個人的な感想です。誰かを悲しませる意図はありませんし、私自身もこの文章を投稿することで傷つくことは本意ではありません。偶然この記事を目にしてくださった方は読み終わったらそっとページを閉じていただけたらと思います。

更にはじめに

このnoteには主に仕事にかかわる読書を記録している。単なる感想にとどまることもあれば、内容に対して批評めいたことを書くこともある。感想文を読んで「この本を読んでみたい」と思ってくださる方がいたら嬉しいし、同じ本を読んだ人と感想や意見を言い合えたら素敵だなという期待がこのnoteを書く動機になっている。
しかし、今回ここに書こうとしているのは私的な小説を読んだ感想であり、いつもとは動機が異なる。今回は恋愛や親子間といった人間関係を扱う自伝小説に対する、私自身のとても個人的な感情の記録である。だから、いつもは誰かに読んでほしいなと思ってSNSでリンクを紹介しているが、今回はそっと書いてそっとアップしようと思う。心の内を明かす言葉はとても私的でナイーブなものなので、偶然この記事を読むに至った人はどうか読んで思うところがあってもそっとしておいてほしい。いわばこの記事は内緒の日記のようなものなのだ。そんな危ういものを文章にするなよ!ましてや公開するなよ!と思われるだろうが、一応ちゃんと理由がある。
『エゴイスト』の読後は非常に重たく私の中で数週間ほど言語化できなかった。ずっとそれが引っかかっていて、最近やっと言葉にできるようになってきたのだ。このチャンスを逃したら言語化できないかもしれないと思った。そして自己顕示欲まるだしだが、せっかく言葉にしたものは誰かに読まれる形にしたいと思ったのであった。これはいつもよりも殊更に、私のための記録である。

感想

『エゴイスト』は高山真さんの自伝的エッセイである。まず、あらすじを紹介したい。主人公の浩輔は田舎で生れ育ち、女っぽい、ゲイっぽいといった理由で学校で執拗にいじめられた。そのさなかで長患いをしていた病気の母親を失う。母の死をきっかけに浩輔はくだらないいじめが蔓延る田舎を出るために進学校を目指し、卒業し、都会のオープンでフラットな環境を獲得し、自分の性癖を必要以上に隠さず生き始める。そこで出会ったのが美しく若い龍太だった。龍太は病気の母親を養うためにゲイ風俗で働いていた。浩輔と龍太はそのうち恋人関係になり、浩輔は龍太を自分の恋人でいてもらうために、風俗をやめる代わりに毎月10万円を龍太に支払うことにした。龍太は風俗をやめたが生活費と医療費をまかなうためには10万円では足りないため、日中出来る限りを仕事をする。寝る時間を削りながら働き献身的に母親を支える龍太に対して、優しくして、気遣い、経済的にも支えることで、浩輔は死んだ自分の母も助けているような気持ちすら抱いていた。だが、過労がたたったのか、龍太が突然死してしまう。浩輔は自分が龍太を殺したと思い、罪の意識を抱えるが、龍太の母は浩輔を受け入れ、許し、浩輔は龍太の母が病死するまで交流を続ける。龍太の母が亡くなったところで物語は終わる。

この本を読んだ後、心の深いところにずっしりと重い感情が横たわっていた。この感情が何なのか、どうしてこんな気持ちになるのか、その時は言葉にできなかった。なぜだか分からないままに、私は打ちのめされていた。
それから、ずっと心の隅っこで考え続けていた。私を揺さぶったものはなんだったんだろう?最近やっとその正体がわかったような気がする。

浩輔は龍太を性風俗から遠ざけて自分だけのものにしたかった。龍太は浩輔との関係と並行して性風俗の仕事を続けることが出来なかったから、浩輔が龍太と付き合い続けるには性風俗を辞めさせる必要があったのだ。
浩輔は龍太を自分だけの恋人にしたかった。また病気の母を支える龍太に、助ける前に母に死なれた自分を重ねて、龍太を支えることで間接的に自分も親孝行しているような気持にもなっていた。出版社勤務の比較的高給なサラリーマンとはいえ、毎月10万円の支出はそれなりに負担がかかる。それでも浩輔には充足感というか満足感がきっとあった。事情を知っているにもかかわらず、龍太がデートのたびに居眠りしている様子を愛おしそうに眺めることすらできたのだから。
やがて龍太は過労と思われる理由で死ぬ。死因は本文では書かれていない。もしかしたら過労は関係なかったかもしれない。それでも浩輔は自分のせいで龍太は死んだ。俺が龍太を殺した。と自分を責める。風俗を続けていた方が効率的に稼げたことを浩輔は分かっている。でも風俗を辞めさせた。自分と恋人でいてほしかったから。

龍太が死んで浩輔が自分を責めるシーンを読んで、私の鳩尾が痛み、重く苦しい気持ちになる。龍太が負っていた経済的な負担は一体いくらだったんだろう。浩輔からもらう10万円のほかに、彼はいくら稼がないといけなかったんだろう。そのためにどれほどの仕事を入れていたのだろう。その仕事の時給や労働条件はどんなものだったんだろう。私だったら龍太にいくら必要なのか口を割らせてから、どんな支援ができるか、持続可能な生活設計を一緒に考える。私だったら過労を抱えている人を横でただ眺めたりなんかしない。・・・なんて外野の人がそれらしいことをいうのは簡単で、それは誰も救わない。そんなことは浩輔が100万回は後悔したはずだ。本の中では浩輔の日常生活はあまり書かれていないが、彼にも仕事があって龍太以外の人間関係があって、そもそもまだ30歳前後の若者なのだ。付き合い始めて月日が浅い恋人に対して、そこまで配慮して踏み込むのは難しかっただろう。龍太だって浩輔に具体的な相談をしなかったのだ。

それでも私が「なんで、どうして」と思わずにいられないのは、自分を浩輔に重ねたからだ。浩輔の中に自分と似たエゴを見たのかもしれない。自分が責められたような気さえした。高山さんは過去の自分を振り返ってエゴイストというタイトルをこの本につけた。エゴイストは浩輔であり、そしてきっと私も。

好きな人を独占したい、押しつけがましくても自己が満足できることをしたい、相手のためと言いながら自分のために何かしたい、という気持ちは私の中にもある、もしくはあった。そんな気持ちが龍太を殺した。私は実在の龍太を知らないし、ましてや殺してもいないんだけど。龍太ではない誰かを損なってきたかもしれない。私のエゴによって大切だったはずの人が傷つく。たまたま誰も死ぬことや大きく損なわれることはなかったけど(私のあずかり知らぬところで損なわれることはあったかもしれない…)、一歩踏み間違えれば私は浩輔だったかもしれない。私のエゴも誰かを殺しえたかもしれない。背筋が凍りそうだ。もしそんなことがあったら、私の人生はずっと灰をかぶってしまっていただろう。
『エゴイスト』ではたまたまその関係が恋人とその親だったけど、この構図は友達同士でも、親子関係でも、先輩後輩でも起こりえる。人と人が深く関わりあったとき、その影響力は人を殺すほど大きくなることがあるのだ。実際に関係性が人を殺すことはないけど、もしも悲しいことが起きたときに、関わった人たちの大半は「私が〇〇しなければ」「俺が〇〇していたら」と己を責めるものだと思う。例えば子どもが事故で亡くなってしまった時。友達が自ら命を絶った時。誰かと深いかかわりを持つことは、同時にその重さを抱えることだ。もちろん自分が相手に傷つけられることもある。故意に傷つけられるケースより、勝手に傷つくことの方が圧倒的に多いだろう。

しかし、深い関係性がもたらすものは暴力性だけではない。本書の中で、浩輔はまずは自分を受け入れ、無垢に信じてくれた龍太に救われる。そして龍太が死んだあとは浩輔と龍太の関係を知ったうえで浩輔を優しく受け入れてくれた龍太の母にも救われる。浩輔は許される。恋人の龍太は無垢に浩輔のことを信じた。そして、自分のエゴで龍太を殺したかもしれないのに、龍太の母は「そんなことない。龍太は浩輔さんに会って幸せだった。」と言ってくれる。愛する人に愛を返されること、存在を肯定されること、その尊さは筆舌につくしがたい。どれほど心の支えになるだろうか。ましてや、浩輔はジェンダーに悩み、いじめにあい、子どもの頃に母親に死なれている。自己肯定感はめちゃくちゃだったと思う。龍太によって浩輔は救われた。そして龍太の母にも許された。

龍太の死によって浩輔の人生は大きくかき乱された。多分、浩輔自身が死ぬまでずっと(著者の高山さんは若くして他界されている)。浩輔にとって、きっと龍太はかけがえないのない、そして初めての深く心を通わせた相手だったのかもしれない。龍太はそれだけ大きな存在だった。
浩輔である高山さんは龍太に対する自分をエゴイストだと思ったから、きっとこの本に『エゴイスト』というタイトルを付けた。でも、誰かに対する己の感情をエゴだと思い己を恥じる、その関係性に宿るものこそ愛ではなかろうか。この本は浩輔が抱えていた愛を描いた小説かもしれない。

人は誰かと深く関わりあうことで、お互いに対する影響力が増し、大きく傷つけあうリスクを抱える(そしてそのリスクが顕在化する可能性は非常に高い)。しかし、同時に誰かに愛されること、愛すること、許されること、許すことは魂を救う。私も過去の関係性の中で誰かに魂を救われたことが数えるほどにしてもあったし、救ったこともあったかもしれない(ろくでなしなので、ないかもしれない)。少なくとも娘たちには大きく傷つけられ、損なわれるとともに、何度も救われている(母と娘の関係は深い)。
もしかしたら、高山さんはその魂が救われる経験や尊さを形に残したかったのかもしれない。動機は本人にしか分からない。ただ、私は過去に自分が味わったことがある心が震える感覚をこの本を読んで垣間見た気がする。


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