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広告に奪われる自信

以前、成功体験におなかいっぱいにという記事を書いた。

私は英語学習者である。
特にTOEICのスコアが必要なわけでも、
仕事で英語が読めないと困るわけでも、
旅行で英語を話したいわけでもない。

ただただ英語を勉強するために勉強しているだけの
あまり意味のないタイプなのだけれど、
なんとなく続けている。

特に学習において緊急性があるわけではない。
危機感や目的意識が薄いといわれればそれまでなのだが、
それでもそれなりに続けていて、全く出来るようにならない
今朝も30分話したオンライン授業では殆ど聞いてるだけになってしまった。
こんなのをもうずっと続けている。

いきなり喋れるようになんてならないんだから、
まずは英語をインプットしないと。インプットが足らないんだよ。
初心者向けの英語の記事や簡単な絵本を読んでみなよ。
・・・読んだよ。読んでるよ。
英文法飛ばして会話は出来るようにならないよ。
・・・英文法の本も動画も読んでみて問題演習もしているよ。
とりあえず今できることから、アウトプットしてみなよ。
・・・オンライン英会話も学校も通ったよ。続けてるよ。
繰り返していればそのうちなんて絶対にうそだと思う。
まずは3か月続けてごらん変わるから。変わらないよ。
半年。変わらないよ。一年、、、二年、、、
簡単にあきらめたわけじゃないけれど
それでもいつかもそのうちも永遠に来ない。
ずぶの初心者とまるで変わらない。

3か月で喋れるように、半年でTOEICのスコアが倍に
目にするたびに自分の能力が人間として
極端に足りてないような気分になってしまう


英語を例にとってみたが、ほかのものも同じである。
たとえば資格試験、たとえば投資、たとえば転職
「短期間で効果がでる」「どんな人でもチャンスがある」
それはフックとしては飛びつきやすいのかもしれないけれど
実際に出来ている人はどれくらいいるのだろう。

広告だし実際にそんなに甘くないと思うのと同時に、
自分に普通の能力がないから,言われているようにできないのでは
とおもってしまう。

長く生きてきて、おそらく自分は一般的というよりは
何に対しても下位の能力しかないのだということには気づいた。
悲しいけれど事実。
上位の人たちに憧れて色々頑張ってみたけれど
まったく思う通りにはならない。
隣の芝生は・・・ではないけれど、
友人知人については所謂ヒエラルキー上位の人も多く、
昔はつい比較してしまっていた。
うらやましいと思えど、
そもそも持っているものが違うのだからどうしようもない。
だから自分を守るように、
キラキラしたSNSは見ないようにしていた。

けれど広告はそういうわけにはいかない。
動画やテレビは勿論、
街中や電車のデジタルサイネージやポスターは
否応なしに目に入ってきては、そのたびにため息がでてしまう。

本来は買ってほしいと、
やってみたいと思わせるべき広告が
まったく逆にかんじてしまう。

こんな風に思ってしまう人、ほかにはいなんだろうか

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yulia
日々を生きていく力にします。本当に、ありがとうございます。