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遊びの本質を考える 〜「遊び」を通した保育の在り方〜

近年、「遊びを通した保育」や「遊びを通した学び」の重要性が注目されています。

「遊びを通した保育」を考える前にまず、
そもそも「遊び」とは何かについて考えたことはあるでしょうか?

保育の現場では、「遊びとは何か?」よりも、「どう遊ぶか?」「何をして遊ぶか?」に目が向きがちです。

そんな中、僕は『「遊び」の本質』という本を読んで、改めて「遊び」について深く考えさせられました。


1. 保育における「遊び」の定義

まず、「遊び」は保育においてどのように位置付けられているのでしょうか?

保育所保育指針には、以下のように記されています。

子どもが自発的・意欲的に関われるような環境を構成し、子どもの主体的な活動や子ども相互の関わりを大切にすること。特に、乳幼児期にふさわしい体験が得られるように、生活や遊びを通して総合的に保育すること。

保育所保育指針・総則、保育の方法


また、保育所保育指針の中には「遊び」という言葉が41回も登場しています。

これだけ頻繁に触れられていることからも、遊びが保育において極めて重要な要素であることがわかります。

2. 遊びの主体は子ども


では、遊びの本質とは何でしょうか?

『遊びの本質』の中では、次のように定義されています。

遊び」の本質は、「やってみたい」という動機である。

「遊び」の本質


つまり、遊びとは「子どもがやりたいと思うことをやる」こと。

ここで重要なのは、遊びの主体が

子ども自身

であるということです。


3. 教育の主体は大人

遊びの主体が子どもである一方、保育の現場ではどうしても「正しさ」が優先される場面があります。

『遊びの本質』には、こうも書かれています。

教育の主体は、大人である。

「遊び」の本質


例えば、滑り台を「一方通行で使う」というルールは、安全確保のために必要です。

しかし、そのルールが子どもの「やりたい」という気持ちを制限してしまうことがあります。

集団生活の中で一定の制約があるのは仕方ないと感じる方も多いかもしれません。

しかし、子どもの「やりたい」をどのように尊重するか、
私たちは常に考え続ける必要があるのではないでしょうか。


4. 子どもの心を折らないために

最後に、私の心に深く響いた一文を紹介します。

大人は子どもの骨が折れたら大騒ぎするのに、子どもの心を折ることには無頓着である。

「遊び」の本質


「危険だから」「集団生活だから」という理由で、
子どもの「やりたい」を抑え込むことは、心を折ることにつながるかもしれません。

骨は時間が経てばくっつきますが、心は一度折れると修復するのが難しいのです。


保育者として、私たちが「良かれ」と思って行っていることが、
子どもの心を折ることになっていないか。

この本を通じて、日々の関わり方を振り返る大切さを改めて感じました。


5.大人の役割は?

遊びとは、子どもが自分で「やってみたい」と思うことを実現する行為です。

その主体は子ども自身であり、大人はそれを支え、環境を整える役割を担っています。

子どもの心を大切にしながら、遊びを通じて成長、学びを見守り、ささえていけるような保育をしていきたいですね。


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