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大学5.5年間を振り返って。
3.5年間、立命館大学体育会女子ソフトボール部として活動。
その後1.5年間オーストラリアにソフトボール留学。
そして、最後の半年を「自分の生き方」に費やした大学生活を自分のために振り返りながら書いていくことにした。
先に言っておくと、ぶっちゃけ本当に振り返りたくないくらいつらい思いでのほうが多い。
でも、今日もらったアンケートに
「あなたの大学生活は充実していましたか?」
の問に対して、「そこそこ充実していた」と回答した自分の気持に向き合いたいと思う。
「自由」になれた1回生
「恋愛禁止」「携帯禁止」「少女漫画禁止」の中での寮生活ーーー。
とにかく禁止事項が多かった高校生から一変し、「髪を染めてもいい」「ピアス開けてもいい」「朝まで遊んでもいい」中でのひとり暮らしという、the 大学生ライフが始まった。
完全な高校の反動だろうか。
練習があるなし関係なく「カラオケオール」をしたり、みんなでご飯に行ったりするのがめちゃくちゃ楽しかった。
ときにはラインゲーム「ツムツム」の話を友だちとしたり、先輩とするだけでテンションが常に高かったと思う。
練習に行くのも毎日楽しくて仕方がなく、朝から晩まで全力で生きていたと思う。
ソフトボールに関しても、順調に成績を伸ばせた。
入学してすぐはじまる春季関西リーグで初登板。
結果としては2点取られてしまったが、相手が全国優勝レベルだったこともあり、同チームの先輩だけに限らず、他チームの先輩たちからも「ナイスピッチ」と声をかけてもらったことを鮮明に覚えている。
西日本大会では5回完封、コールド勝ち。
その後のインカレ(全国大会)では出番がなかったものの、秋季関西リーグでも防御率0で最優秀投手賞をもらったりなんかもした。
とにかく毎日が輝いていて、4回生の先輩が大好きだった。
多分、当時の3回生以下は全員同じことを思っていたと思う。
大学生活になれてきた2回生
この頃にはすでに「携帯依存症」になっていたと思う。
今でこそ「携帯依存症」という言葉さえ死語になってきているが、当時はかなりインパクトがある言葉だったし、依存している人は少なくなかったと思う。
私の場合、高校のときに禁止だったことが反動になっていたことは間違いない。
授業、部活、アルバイト、恋愛。
すべてのことに「慣れ」を感じ、中だるみというかなんというか、正直あまり覚えていない。
ソフトボールの戦績だけはかなり覚えていて(というのも1回生の後半から殆どの試合を登板させてもらっていたから)2つ上の先輩たちとインカレに行きたい思いがかなり強かった。
自分が頑張らなきゃいけないというプレッシャーもかなりあった。
こんなことをいうとすごく偉そうに聞こえるけど、「日本一経験者」ってやっぱり荷が重い。
「できて当たり前」の世界で、できなかったときの「もうあいつの時代は終わったな」感。
そう思われないためにかなり必死で食らいついていた。
肩の怪我と責任感
2回生の10月頃、肩を負傷した。
今だから言えるけど、完全なストレスが原因だ。
最近も別の場所を負傷したときに言われたのが「ストレスが原因」だとのこと。
神経がビリっとなるくらいの痛みで、普通の感覚なら投げることができない。
試合前に集中力を高めてアドレナリンだけでなんとか乗り切ってきた。が、11月にとうとう肩が上がらなくなってしまった。
基本的に運はいいので「すぐ治るだろう」と思っていた。
しかし、どこの病院に行っても原因不明。
結局今も何が悪かったのか正確にはわからない。
不思議なタイミングで現れた肩の痛みは、残りの大学生活を大いに苦しめてくれた。
そのおかげで、「海外でソフトボールをする」という選択肢をつくれたのは事実だが。
やりたいこととやっていることの不一致が始まる3回生
簡単に言うと、思ったように投げれなくて試合に勝てなくなってきた。
自分のピッチングにもどんどん自信がなくなり、本当に辛かった。
大好きなソフトボールを初めて嫌いになりかけたのは、この時期からだと思う。
自分を変えなきゃ自分を嫌いになりそうだった。というか嫌いになっていたと思う。
何もかもがネガティブに見えて、泣きじゃくって練習を休んだ日もあった。
今思うと、よくあの精神状態でソフトボールやっていたなと。
行きたくないのに行かなきゃいけない、やりたくないことをやらなきゃいけない。
この空間に違和感を感じ始めたのもこの時期だったと思う。
トビタテ留学ジャパンとの出会い
トビタテ留学ジャパンの話をする前に、ターニングポイントになってくれた人がいる。
それは、同い年の東野快生くん。
今は企業に就職しているけど、将来的にはありえない規模で日本を、いや、世界を動かすんだろうなと思っているのでもしこの記事見てたら期待していることだけ伝えておきます。
彼とはじめて話した日、過去の自分と話しているような感覚になった。
やりたいことに真っ直ぐ向き合い、問題解決に全力で取り組む。
とにかくキラキラしていて、眩しかった。
当時の私は何をしていたかというと、「ソフトボールで東京オリンピックを目指すためにオーストラリアに行く!」とかっこいいことだけ言っておきながら、内心全く思ってない状態というか、「いや、無理だろ」って自分を信じてあげられないかなりくだらない生活を送っていた。
留学をすることを決めているのに何も動いていない、そんな自分が急に恥ずかしくなった。
このままじゃいけないと思い、快生の紹介で就職活動をしている人たちにセミナーを開く大手企業の講演会に参加させてもらった。
そこで出会ったのが、同い年のトビタテ生。
トビタテ4期生として、留学したという。
私が応募要項を書いていると、初対面であるにも関わらずガンガンアドバイスをしてくれた。
今思うと彼女無しでは絶対にトビタテに受からなかったと思う。
それくらい熱く、的確なアドバイスをくれた彼女には今も感謝しきれない。
トビタテ留学ジャパンのいち員となったあと、価値観が大きく変わった。
まず、「自分の夢を人に言うことは恥ずかしいことだ」という固定概念から一気に開放された。
周りと一緒に「私はこうなりたい」「あなたはどう?」と質問しあい、お互いのメリットが出そうなところは協力したり、アドバイスしたりする。
そんな環境に飛び込んでから、私の気持ちは一気に「夢」へと傾いた。
ソフトボールに対する気持ちの矛盾
1回生の頃から
「多分キャプテンは本庄だろう」
という雰囲気は流れていた。
同期が4人しかいないこと、私が目立ちたがり屋なこと、話すのが得意なことなどいろんな条件が重なって、私がキャプテンになる可能性が高かった。
自分でも、4人の中なら一番適任だろうと自負していた。
しかし、監督の方針でキャプテンから外され、結果、副キャプテンと主務を兼ねることになった。
今思うと、キャプテンをやるよりもタスク的にはきつかったと思う。(ただ、たくさんの友だちをそこで作ったことは間違いないので、決して後悔はしていない)
ただ、キャプテンができなかった悔しさもあった。
今思うと、キャプテンの子に対しての嫉妬もかなり強かった。(そこに関しては、直接謝ることができるならしっかり話し合ってわだかまりを取りたいほど、反省しています。)
キャプテンの子もかなり辛かったと思う。
もともと仲は良かったので、初めの方は話し合いでうまく行っていたことがだんだん上手く行かなくなり、最後はぐちゃぐちゃになってしまった。
今ならもっと相手のことを考えたり、素直に話し合いができたのだろうけど、当時私もいっぱいいっぱいだった。
それくらい4人ともがオーバーヒートになっていた年だったと思う。
正直、私のベクトルは「立命館大学女子ソフトボール部」としてではなく、「今後ソフトボールをしながらご飯を食べていくためにはどうしていくべきなのだろう」という人生軸に変わっていた。
もっと言えば、ソフトボールを利用してなにか新しいことにチャレンジできないかと常に考えていた。
それくらい、ソフトボールに対しての価値観がガラッと変わった時期だったと思う。
引退。
インカレの切符を落としてしまった私たちは、全日本総合ソフトボール大会に向けて練習に励んだ。
最後の試合、初回満塁ホームランを打たれてノックアウト。
小指の脱臼をしたことももちろん原因だが、それ以上に気持ちが追いついていなかったと思う。
引退した瞬間、「ああ、やっと引退できた」という安堵の気持ちが勝った。
学生主体のチームだけど、自分たちで選手は決められるわけじゃない、学生主体と行ってもまだまだ大人の手が必要。
こんな状況下でホテルの段取りやバスの手配などをすべて行い、選手ファーストでやったつもりが、チームへの一体感がかけるとの理由で注意され、後輩たちにもほんとに迷惑かけたと思う。
エースとしてチームを引っ張るのも、最上級生として引っ張るのも、副キャプテンとして引っ張るのも、すべてあの頃のベストがその結果だったと思う。
今思い返せばただの力不足だ。
留学。
自分のやりたいことに本気で向き合った期間。
今までの肩書きをすべて捨てて、真っ白なキャンバスにストーリーを描いた1年半は私の中で大きな経験となった。
オンライン上でのスポンサー探し、慣れない環境での生活、全く勉強せずに行って後悔した英語。
すべてのことが新鮮で楽しい半面、すべてのことが不安と恐怖で自分が壊れてしまいそうだった。
辛い、帰りたい、もう嫌だ。
そんな時期もたくさんあった。
でもいつもそれを乗り越えることができたのは、紛れもなく応援してくれた両親だった。
ただでさえお金がかかる「ソフトボール」という競技に一度も「やめなさい」と言わずにむきあわせてくれた環境があったのは二人のおかげだ。
なんか暗くなってきたので、話題を変える。
オーストラリアのソフトボールはとにかく楽しかった。
久しぶりに「ソフトボールってこんなに楽しかったっけ」と思える環境に飛び込めたのはオーストラリアに行ったことの一番の収穫だった。
小学生の時にひたすら楽しいからしていたソフトボール。
だんだん「勝たなきゃいけない」という環境に追い込まれていったのは言うまでもない。
どっちのほうが幸せなのかは別として、人並みにピッチングができてそこそこの結果が出せてしまったがゆえに強さを求められてきたソフトボールには高校で全国大会を優勝したあとから違和感をかなり持っていた。
「なんで勝たなければいけないんだろう」
もちろん、「先輩と一日でも長くソフトボールがしたいから」と本気で思って頑張った時期だってある。
でも、全国大会を優勝したからと言って、有名になってお金を稼げるわけでもない、永遠の幸せを掴み取れるわけでもない、むしろ勝てば勝つほどプレッシャーが増えていくだけだった。
そんな環境から一旦離れて【ソフトボールを楽しむ】という環境においてくれたオーストラリアの仲間には感謝しきれない。
こんな感じで留学が終わり、結果的にはQLD州U23にも選んでもらい、「ソフトボールを楽しくやっていたほうが実績が残りやすい」ということも学んだ。(なので、勝たなきゃとか、勝って!と言われるのが苦手。楽しんでと言われたら結果が出るので、ぜひそうやって声をかけてほしい。)
もしくは、勝ったら何が生まれるのか、私を説得させる何かがあれば教えてほしい。
半年間の復学期間
この期間は、もはや学生ではなかった。
気持ちはすでに「社会人」。
お金ももらっていたし、ビジネス関係で付き合う人も増えた。
その中でもやはり「学生だから」といっておごってくれる人は多かったし、そこは本当にありがたかった。
学校は週3日。
4月から7月までの期間、学校にも通いながら東京には月2回は顔を出した。
それくらいしないと、置いていかれるのもわかっていたので、今やれることをどんどんやりまくり、交通費には惜しみなくお金を使った。
とにかく人と出会えるタイミングならば、いろんなことを犠牲にしてきた。
その分、高校の友達、大学の友達、それ以外にも私のことを気にかけてくれる友だちがたくさんいることもわかっているが、今は遊びに行くほど時間がない。
自分の夢、ソフトボール界を本気で変えるためには犠牲にしなければいけないこともたくさんあると思う。
申し訳ないとは思ってる。でももう少しだけ待っててほしい。
この半年間で成長したことはたくさんある。
クラウドファンディングの成功、スポンサー15社と契約。
金額も上がり、PR案件などもふってもらえるようになった。
文章力も少しずつだがついてきており、ほんの少し「稼ぐ力」が見えつつもある。
私一人じゃ到底できなかったことも、今周りにいる人たちのおかげで大分できるようになってきている。
「熱」ってひとに伝わることもよくわかった。
その分、自分が伝えた熱は、相手が本物であればあるほど倍の量で返そうとしてくれる。
それを受け止めるだけの力も持っていないといけないこともよくわかった。
アドレナリンの出方も半端じゃない。
まるでギャンブルをしているような感覚だと思う。
それくらいの熱量をがっつり返してくれる。
本気の人ほど、だ。
ここで自分が本気じゃないと尻尾を巻いて逃げてしまう。
だって、相手が本気で応援してくれているのに自分が嘘をついていたら、心苦しいに決まっている。
本音で話し、それを倍になってまた返す力がある人だけが成功することもよくわかった。
こんなことを話している時点で、学生じゃないなと自分でも思う。
人って、自分の成長を自分であまり察知しないと思う。
最近「ね、ね、人生何周目なの?」って真顔で聞かれたことがあった。
別に浮かれているわけじゃないけど、私と話すことで誰かのモチベーションを上げることができたり、話している内容に一つでも救いの言葉を伝えることができたら最高じゃないか。
話すときは常に全力なので、ぜひ色んな人と話してみたいと思う。
卒業式を振り返って
実は今日、本当は沖縄にいる予定だった。
卒業式に出られない予定だったのだ。
でも、台風の影響か、私が飛ぶはずだった便だけが欠航になった。
そのあと大阪でも東京でも一瞬で予定が埋まったので、「なんだ、結局こっちでの予定を済ませるために沖縄行きの便が欠航になったのか」と思ったくらいだった。
人生はすべてタイミングだと思ってる。
講演会やプレゼンのように「いつ」「どこで」なんて決まっていなくて、出会いも突然訪れてしまう。
そのときに、いかに等身大で話をできるかもミソだったりする。
とにかく「素の自分」を見せたもんがちだということだ。
後にも先にも、嘘をついていると本当にバレる。
普段嘘をつかない人がついたら尚更バレる。
やっぱり等身大で素直が一番だとも思う。
今日で、「大学生」という肩書きを捨てるわけだがそれと同時に「立命館大学卒」という肩書きをもらった。
この肩書きを使わなくても、「ソフトボール選手」と言わなくても「本庄遥」もしくは「はるはる」と聞くだけで「立命館大学卒業生」「ソフトボール選手」などと肩書きを連想させてもらえるくらいビックにならなきゃと思う。
ぜひ、「ソフトボール 本庄遥」などと検索してほしい。
わたしの力だけじゃどうしようもできないので、素直に言うと、あなたの力なしでは私はココまで来ることができませんでした。
そしてこれからも。
ダラダラと書いてきたこの文章を読んでくれた人、本当にありがとう。
これから一人前の大人として、社会人として生きていきたいと思います。
最後に、私からメッセージ。
人生は一期一会です。
人との出会いを大切にすれば、あなたの夢は叶います。
一緒に頑張りましょう。
本庄遥(はるはる)より。
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