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496.変革は自分の中の常識を壊すところから

常識というものは非常に厄介なもので、いつの間にか身につけていて、知らない間に雁字搦めになっていて、一度壊したと思ってもさらに大きな常識に包まれながら生きている。

目に見えない上に、同調が働くのでとても偏りやすい。
というか、常識はあくまで理論ではなく意見なのでそもそも偏りではある。

常識に囚われたままだと常識通りの人間になり、非常識とは無縁の人生を歩むことになる。
そりゃあそうだ。別に良い悪いの世界ではないし、すごいかすごくないかという議論がしたいわけでもない。

人は今いる環境を常識と捉え、非常識を非情か何かと間違えているのかぐらい排除する動きも多々見られる。

しかし一方で、世の中を大きく変える存在は得てして非常識のレッテルを貼られているのも事実。

ただミクロな視点に落とすと、個人の力では世の中の常識をぶち壊していくにしてはあまりに無力で、世界を変えるだの、日本を変えるだの、総理大臣でも苦戦しているようなことを一介のビジネスパーソンが遂げられるはずもない。

という思い込みも、イーロン・マスク氏がぶち壊している。

常識と思い込みは、実はとても似ているのかもしれない。

これは全人類、恐らくそうだと思うのだが、みんな深い深い思い込みを持っている。

それは生い立ちや、周りの環境や、自身の経験など、原因を探ると複雑怪奇なもの。

この集合体のような存在が常識だといえなくはない。

これはこうであるだろう。
こうだったら、こうではないか。
こうなったら、こうなるだろう。

果たして本当にそうなのだろうか?

非常識はいつも常識に対する疑問から生まれる。

これは無意識下でもよく発生している。

今の仕事を辞めたら、収入がなくなってのたれ死ぬのではないか。
正社員以外仕事を安定して取ってきて、安定した生活が保証されないのではないだろうか。
この商品の価値を伝えたら、良いと思って、きっと購入率が上がるだろう。

人間はそんな単純ではない。
自分だって単純ではないくせに、他人や世界にはやたらと単純ないわゆる常識を押し付けたがる。

その押し付けは、何も悪意のあるものだけではない。

だから厄介なのだ。

目に見えない。
だから、自覚するしか認知できないものなのだ。

今、あなたはどんな常識の中で生きているだろうか。

今、あなたは何を常識と捉え、何を非常識と捉えているだろうか。

そのフィルターを、無意識のうちに発動させていないだろうか。

普段生きるのなら問題ないが、何かしらに変革を起こしたいと思っているのなら。
自分を変えたい、組織を変えたい、もっとたくさんの人を良くしていきたい、そう思っているのなら。

まず最初に取り組むことは、自分の中にある常識を木端微塵に粉砕することから、である。

すべてはそこから始まる。




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