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458.息が詰まるようなチャレンジの日々

日々、挑戦しているだろうか。

それは何をもって挑戦と呼ぶのだろうか。

やったことないことをやることだろうか?
知らなかったことを知ることだろうか?
嫌なことに取り組むことだろうか?

僕の挑戦は、下記の別記事のようなイメージ。
緊張しているか。
息が詰まりそうか。
心震える場にいるか。

「挑戦」と呼べる感覚は、どのようなものだろうか?

まるで、空気が薄くなっているかのような、息が浅くなっているかのような、ほんの少しの苦しさ。

負ではないが武者震いにも似たこの感覚は、人生のアクセントで、代わり映えのない日常を変えようとしているのならば必ず通る道の一つである。

メンタルの負荷はメンタルを強くする

負荷というと苦行のようにも感じるかもしれない。
自ら苦しくてつらい道を選ばなければならないと感じるかもしれない。

しかしよくよく考えてみれば当たり前のことで、筋肉をつけたければ筋トレで負荷をかけ、お金を稼ぎたければ自己か何かしらにか投資をするように、求めているものに負荷をかけるのは世の摂理である。

何も先出しをしていないのに何かを得られるなんてことはこの世に一つもない。

メンタルも同じである。

屈強な精神力を持っている人は、非常に柔軟なメンタルだと言える。
何を感じても、行動に影響することがない。
何を思っても、やるべきことを淡々とやり続ける。

感情を捨てるのではなく、うまく付き合っているという印象だ。

武者震いするほど緊迫した仕事に取り組むことで、より大きな報酬が得られたり、より優秀な人間になったり、スキルが身についたりする。

恐れることに恐れるな

挑戦と呼べる現場をどれほど体験しているだろうか?

高校野球をやっていた頃、最後の夏の大会、先頭打者としてバッターボックスに立つ直前。

受験の答案用紙をめくる寸前。

社会人になり初めて一人で営業先に赴いたとき。

クロージングを教えてもらって、初めて注文書に印鑑を押してもらうぞと会社を出ていったとき。

告白する直前の、一瞬の逡巡。

できれば体験したくないほどの動悸が、人生の節目とも呼べるときに経験している人も多いと思う。

さて、今あなたは同じような瞬間を日常で迎えているだろうか。

果たして、同じほど心がざわめき、呼吸が浅くなり、ビビっているけどやるぞ自分を奮い立たせるような時間を過ごしているだろうか。

代わり映えのない日常を抜け出したいのに、変わることを避けて生きていないだろうか。

まさか、そういった今までの自分ではビビってしまうような、どうにもならないような場に足を一歩も踏み入れることなく、まるでドラえもんがやって来たかのように、何の努力もすることなく変化が訪れるとでも思っているのだろうか。

変化を好めとは言わないが、変化なくして今を変えることはできない。
できるという人がいるならきっと、めちゃくちゃ怪しい。

変えるのは自分以外の何かではない。

自惚れるな。
自分を変えずして、世界が変わることは万に一つもあり得ない。

楽しめとも言わない。
そんな楽な話ではない。
できれば体験したくない感情なんて山ほどある。

ただ、幸せだとは思える。

すべての経験が、感じる想いが、挑戦ができるというこの現状が、有難いと思える。

挑戦は幸せである。

肝に銘じて、今日も挑戦したなぁと振り返れるような一日を過ごそう。

一年後、きっと別人のようになっている。

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