337.例えば、現状が未来のネタになるのだとしたら
個人的に、なかなか厳しい状況が続いています。
困ることも、どうしようもないことも、うまくいかないことも、結構マズいこともたくさんあります。
今までの人生では絶対に味わうことのなかったような小さな出来事を、何度も何度も経験しています。
食料が白米と塩だけで数日間生きていたり。
30分の仮眠×2で、二日間ほぼぶっ通しでいろんな仕事を順番にやっていったり。
使えるお金が14円になったり。
気づいたら机に突っ伏して寝ていたり。
交通費を節約して30分間歩いたり。
まるで人生の禊をしているようです。
余計なものが、とにかく省かれます。
日々の支出。
浪費している時間。
必要のないもの。
わざわざやろうとは思わないことを、やらざるを得ない状況に身を置いてトライしてみる。
背水の陣で臨む。
そんなことを続けています。
人生ネタ作り。
そう六年前に言われました。
ようやく、意味がわかってきたような気がします。
自由にランチを選びたい
尊敬している経営者の一人でもある、元任天堂社長の故岩田聡氏や、サイバーエージェントの社長藤田晋氏を始め、多くの経営者はお金に負荷をかけていた時期があります。
その頃は贅沢とは無縁どころか、普通の生活すらままならないほどだったと、著書に書いてありました。
最も大変だったときは月一回の吉野家の牛丼がご馳走だったと。
今ならほんの少しだけ、その思いがわかるようにも思います。
外食にお金をかけるのを控えるようになりました。
数百円どころか、数十円単位でも気にするようになりました。
別に節約のためではありません。
そりゃ、自由に食べたいです。
自由にランチを選んでいる人たちを見て、正直結構羨ましい。
僕はその分のお金を、然るべきところに回して自分の未来を変えるぞと画策しているのです。
それこそ、奮発した高値の食事が当たり前の日々になれば、今の頑張りは自分にとっては正しく、そして効果があったと言えます。
高く飛ぶには膝を曲げる必要があります。
今を犠牲にしてまで頑張れないという人もたまにいますが。
この先長い人生の方が自由だとしたなら。
今はそもそも犠牲ではありません。
物事の捉え方と、一度きりの人生の願望次第。
選択は自由ですが、その選択で人生が決まるのです。
大袈裟ではなく、本当に。
どうせなら、大きく望みたいなと思います。
師走の表参道で素敵なディナーを堪能する
もちろん、いつまでも我慢の生活だと心も疲弊します。
ずっと控え続けようなんてことはさらさら思っていませんし、人生トータルで見たら我慢してる期間の方がよっぽど短いはずなのです。
その原動力は、目標設定。
師走の時期に、ここで素敵なディナーを食べようねと約束した人がいます。
今も助けていただいている人たちに恩返しもしたい。
理想に近づく豊かさを手に入れることは、相応に稼ぐ力を身につけることと同義です。
楽して儲かるなんてあり得ませんから(あったとしても長続きしない)、コツコツと人の何倍も仕事をして、何倍も負荷をかけて、時間もお金も投じて、おかしいんじゃない? と言われる頃にきっとそこそこ結果が出ていて、自分にとっての理想像になっているのかもしれません。
まあ他人には何を思われても別に良いです。
高校球児の頃、練習が終わったらそそくさと一人で帰って家で素振りをしていた当時から、遊びも行く気にもならず野球に打ち込んでいました。
そのときにも何か言われていたような気がしますが、あまり覚えていません。
なぜ社会人として少し年数を重ねた今、そんな切り詰めた生活をしているのかと思われても一向に構わないのは、あなたとは向かっているゴールと方向性が違うから、という一言に尽きます。
今だけを切り取って判断するのは短絡的すぎる、という話はまた別の機会にして。
とにかくそういった目標設定や、人生の目的から今の選択をしているわけなので、ちゃんと出口戦略はあります。
甲子園に出場してホームランを放つ自分を想像する高校球児のように、12月になったときの自分のイメージを、日々練り込んでいきます。
年内に法人化をする
法人を設立するのは法人印と書類と若干のお金があればできそうですが、その後の事業の展開を考えるとある程度土壌を作り耕しておく必要があります。
その土壌という意味で設定した自分の中での条件を、年内にクリアして法人化するという目標を立てています。
法人名はすでに考えています。
そうして、ちょっぴり苦しい今の時期は一体何のために、何に向かって頑張っているのかを都度都度考えます。
すると、遠くの年収数千万、多事業展開というよりは、直近一年の目標が命綱になるんだよなぁ、と感じている自分を見つけました。
あまりに遠い目標は夢物語と混同してしまいそうです。
夢と目標と行動を結びつけるのは、日々トレーニングですね。
この頃にはきっと、今のような経験はできない状態になっていることでしょう。
この十円玉で電車に乗れるかどうかが変わるという思いがよぎることや、お腹が空いたけれど菓子パンしか買えないという状況になることも、本当にこのままでうまくいくのだろうかと不安がよぎる自分も、少しずつなくなっていくでしょう。
そして、振り子のように次は豊かな方へ大きく振り切っていく。
そういう人生にできたら幸せだなと思うのです。
辛いことや苦しいこと、嫌なこと、どうにもできないこと、それらが人生のネタであるという大局観で捉えられるようになったのなら。
きっと、自分の人生は想像以上に自由だということに気づくことだと、僕は信じています。
だからこそ小さな出来事でも忘れないように、こうしてnoteに記し続けている。
今日も、来たる未来に向けて、一歩一歩。